前にもエグゼクティブフロアにあるスイートルームを担当することはあったが、エグゼクティブフロアのリーダーになるのは初めて。
 もともと不純な動機で始めたホテル勤務だけど、借金返済のために夢中になってやっていたら、いつの間にかホテルマンとしての信頼を勝ち得ていたようだ。
 素直に、うれしいっ!

 ボクは意を決して、エグゼクティブフロアへ向かった。
 まずはご挨拶を兼ねてすべてのお部屋を回りたいので、ゲスト全員のお名前を確認する。

 その中のゲストの一人は、超有名な外資系企業のオーナーであるメリックさま。
 資産は100億円以上とうわさされている億万長者だ。
 日本への出張の時には、いつも当ホテルを利用してくださる常連さま。もちろん、お部屋の値段はこのホテルの最高額だ。

 ボクはドアをゆっくりとノックした。

 コン、コン、コン。

 ガチャリ、と重いドアが開くと、携帯電話で話しているメリックさまがいた。

 携帯電話を複数持っているのか、その間にも別の電話が鳴っているが、慌てる素振りもなく、ゆったりと動いている。
 声は低くはないが、とても聴きやすい。
 話し方も落ち着いている。

 その時、ある成功者の自己啓発書に書かれていたことを思い出した。

「どんなに専門知識を持っていても、言葉や語彙の数が多くても、最終的にその人への信頼は、声のトーンと話すスピード、そして安心させる表情で決まる。逆に、それがないだけでチャンスを逃している人が多い」
 メリックさまは、まさにそこに書かれていたような、人から信頼を勝ち得るしゃべり方をしているのだ。

 ひとしきり電話を終えたメリックさまは、こちらを向いて招き入れるような仕草をした。
 ボクはすかさず、
「このたびは、わ、私どもの……ホ、ホテルにお泊まりくださいまして……あ、ありがとうございます」
 声が震えて言葉にならない。
 あまりの緊張に、手まで震える始末。

 でも、メリックさまは微笑みながらボクの顔を見ている。
 その笑顔の優しさときたら!

 服装はと言えば、拍子抜けするくらいに普通で、白いポロシャツに着古したジーンズ、そして履き古したスニーカー。お部屋を見渡しても、ブランド品が1つも見当たらない。
 ボクがイメージしていた、いかにも大金持ちっていう感じはないけれど、そこにはとにかくハンパない存在感と安心感があるのだ。

 ボクは決して、彼が億万長者だからビビっているわけではない。
 人となりに緊張しているのだ!

 ここで、スッと帰ればいいものを、ボクはまたまた性懲りもなく、質問してみたい気持ちにかられていた。
 エグゼクティブフロアの初リーダーになった日なのに。
 でも、どうしてもメリックさまから「成功に必要な本質」を聞きたかった。