2018年5月25日、ついにEUで「GDPR(一般データ保護規則)」が施行された。ヨーロッパ市民に関する個人情報を扱うすべての企業(ほかの大陸の企業を含む)に適用されるこの法律は、日本では「法務」の問題だと見なされている。だが、メディア論の泰斗にしてGDPRの震源地ベルリンで取材・分析を続ける武邑光裕氏によると、これは法務の問題にとどまらないという。事実、このEUの法律は、世界を、そして「インターネット」を揺るがしている。だがそれは、いったいなぜなのか。GDPRの本質からネットの未来まで、縦横無尽に論じた武邑氏の15年ぶりの新著『さよなら、インターネット』より、その背景をご紹介しよう。(Illustration:Summer House)

インターネットを壊したのは「誰」か?<br />――1.GDPRとケンブリッジ・アナリティカ事件

ネットを牽引してきた天才たちは、
なぜいまテクノロジーに悲観しているのか?

 インターネットの代名詞となったワールド・ワイド・ウェブの発明者であるティム・バーナーズ=リーは、近年の「インターネット・システムは破綻している」と述べた。VR(バーチャル・リアリティ)というコンセプトとヘッドマウント・ディスプレイの発明者であるジャロン・ラニアーは、「ソーシャルネットワークのアカウントをいますぐ削除すべき」と断言する。

 冷戦時代、軍事用の情報通信手段として米国で構想されたインターネットは、1970年代と1980年代に、サンフランシスコのベイエリアとシリコンバレーのパロアルトに集うコンピュータ・プログラマーやデザイナーたちによって、世界を善くするツールとして再構築された。

 1989年のベルリンの壁崩壊と翌年の東西ドイツ統合に至る世界情勢を背景に、インターネットは世界中の誰ともつながることができるネットワークとして世界に開かれた。ベルリンの壁の崩壊後、インターネットは後のグローバリゼーションを加速させるシンボルとなり、デジタル経済を成長させるインフラとなってきた。ほぼ30年間の歴史を持つインターネットは、この間いったい何を間違えたのか?

 iPhoneの創造に関与した人物が、そのデバイスには中毒性があると語り、ティム・バーナーズ=リーは、彼の「創造」が一部のプラットフォーム企業によって「武器化されている」と恐れている。フェイスブックの初代社長であったショーン・パーカーは、ソーシャルネットワークの設計目的の中には、ユーザーを心理的に操作する危険な思惑が埋め込まれていると指摘した。

 もともと1980年代にインターネットの創造に関与したサンフランシスコのネオ・ヒッピーたちは、1960年代を生きた親たちによる最初のヒッピー文化を受け継いだ世代だった。ジャロン・ラニアーは次のように回想する。

「わたしたちは社会主義的なヒッピーでしたが、すべてが自由であることも望んでいました。ステーブ・ジョブズが好きだったので、起業家も大好きでした。だからわたしたちは、同時に社会主義者と自由主義者でもありたいと思っていたのです。しかし、それは不合理なことでした」

 オープン・ネットワークとしてのインターネットは、1990年代後半からシリコンバレーに集中するビッグテック企業の配下に変貌した。「インターネットの夢」はいつしか一部のIT巨人の経済的利益を生み出す独自のエコシステムに変貌してきた

 初期のインターネットに思い描いた夢は幻だったのか?

 どうしてインターネットは壊れてしまったのか?

 それとも、現在のインターネットこそ本来の宿命だったのか?