落語界から人間国宝が出るとしたら、次の候補者と目されていた桂歌丸さんが亡くなった。落語家の人間国宝は、2014年の柳家小三治が3人目。しかし、歌舞伎などと比較して、その人数は圧倒的に少ない。背景には複雑な人間国宝認定の仕組みと落語界の歴史がある。(週刊ダイヤモンド2016年7月9日号特集「落語にハマる!」より)

 落語家が人間国宝になったら、払うのは入場料ではなく拝観料──。かつて、五代目柳家小さんが人間国宝になったとき、そんな冗談が言われていた。

 いわゆる人間国宝とは、重要無形文化財の保持者として各個認定された者をいう。あくまで「わざ」そのものが文化財であり、そのわざを体現できる者を人間国宝と呼ぶ。

 古典落語の人間国宝が少ないことは以前より指摘されてきた。表の通り、同じ芸能分野の歌舞伎と比較しても差は歴然だ。文化財政策に詳しいある文化庁職員は、その理由を次のように説明する。

 まず、落語はわざの細分化が難しい。歌舞伎の場合、立役、女方など、役柄で分類ができ、流派によっても異なるわざとして説明可能。そのため、同じ歌舞伎という種別でも数多くの認定ができるのだ。一方落語は、せいぜい江戸落語と上方落語の二つ。対象となる分類自体が少ない。

 また、落語の歴史も背景にある。人間国宝の認定が始まった1950年代、落語は大衆芸能として隆盛を極めており、保護の対象という認識がなかった。文化的と見なされるようになったのは、ここ20年であり、そもそものスタート地点が歌舞伎とは違うという。「古典落語という言葉は、昔はなかった。この時期に、落語は高尚なものだという雰囲気がつくられた」(春風亭昇太)。