7月、日本はサミット議長国として世界中のリーダーを北海道に迎える予定だ。アフリカ開発会議、食糧サミットと、連続して大きな国際会議に臨んだ福田首相が、その場で、世界の空気、とくに欧州諸国の人権意識を感じ取ったとしても不思議ではない。

 先の官邸スタッフの分析によれば、こういうことらしい。

 動機はどうであれ、不毛な永田町の政局から距離を置くことによって、国際平和のための「決断」に目覚めたとしたら、それはそれで喜ばしいことではないか。また、日本が条約に参加すれば、それは同盟国の米国に対しても大いなる「圧力」になる可能性がある。悲観的ではあるが、戦略上の問題としてクラスター爆弾の廃止に反対している米国の対応も変わるかもしれない。

クラスター爆弾を自国防衛に
使用しようと考える愚

 こうした安全保障上の理由から、クラスター爆弾の廃止に反対しているのは何も米国だけではない。日本国内にも存在する。

 産経新聞は、着上陸作戦に対抗するための防衛手段としてのクラスター爆弾の必要性を訴えている。今回の合意によって、自衛隊所有のクラスター爆弾すべてが使用不可能になることに不安を抱いている。よって合意の翌日の論調は、福田首相を支持しない、というものになった。

 だが、そもそもクラスター爆弾は、海岸線防衛のために製造された兵器ではない。世界中で、自国領土にクラスター爆弾を使用しようと考えている国は、日本をおいて他にない。不発弾発生のメカニズムが存在する以上、クラスター爆弾は、敵よりもむしろ自国民を傷つける可能性が高い。地雷のように防御に使用しようとする戦術自体がナンセンスなのである。防衛省は一体何を考えているのだろうか?

 確かに、福田首相の「決断」はいかにも政治的だったかもしれない。そこには、小渕恵三元首相が対人地雷廃絶でみせたような情熱はほとんど感じられない。

 だが、政治は結果がすべてである。軍縮という人類にとっての正しい方向に向かえさえすれば、動機が何であろうと、それは正しい「決断」に違いない。

 少なくとも、今回の首相の決断によって、将来、日本の子どもたちが、レバノンの子どもたちのような悲劇に見舞われる可能性はずっと減ったのだから――。