なかったことにされた
金融庁内の森批判
まずいことになった──。金融庁のある担当者は、想定外の事態に直面し、知人に泣き言を漏らした。
その理由は、360度評価を金融庁内で実施(注)したところ、森信親・金融庁長官に対する不満が無視できないほど寄せられたことだったという。
人間は誰しも完璧ではなく、360度評価の過程で批判が出ることはむしろ当然だ。普通と違ったのは、森長官は360度評価の対象ではなかったということ。「自分には“上”がいないという理由で受けなかった」(森長官と親しい関係者)。つまり、森長官のことは直接聞くつもりがなかったのに、気付けば庁内の不満の声が集まっていたということだ。
それよりも気掛かりなのは、その声はなかったことにされたということだ。そもそも評価対象ではない森長官に対して、フィードバックを行う必要はないかもしれない。ただ、この一事が示唆するように、森長官には下から悪い話が上がってこない状況に陥っている。
同じことが金融庁外でも起きている。森長官は金融機関に対して、「金融庁におかしいと思うことがあれば、批判してほしい」と公言するが、金融機関側は冷めたものだ。ある大手地方銀行の幹部は、「上司の『今日は無礼講』と同じ。真に受けたらとんでもない目に遭う」と、にべもない。
金融庁と銀行の埋めようのない距離感は、今に始まった話ではないが、豪腕で鳴らす森長官時代にその傾向は強まっているようだ。
ここで思い起こされるのは、米アップルの創業者である故スティーブ・ジョブズ氏だ。激烈な性格で知られ、直轄プロジェクトの社員を追い込み、気に入らない社員は即クビ。絶対に意見を曲げなかったといった逸話に事欠かない。それでも、iPhoneなどの優れた製品を世に送り出して世界を変えたカリスマである。
一方、森長官も、現在の日本の金融業界に対して強い問題意識を持ち、変革への構想力と実行力を兼ね備え、世の中を動かしている。
極論を言えば、部下の不満も森改革の妨げになる雑音かもしれない。ただ、悪い話が上がってこないというのは裸の王様になるリスクと隣り合わせ。結果を出せば「名君」、出せなければ「暴君」だ。