1ヵ月間意識を失い、生き地獄を味わう
皮膚が焼け落ちていたので、入院中は全身を包帯でぐるぐる巻きにされていましたが、それでも私は、年明けには退院できるだろうと軽く考えていました。
ところが担当医は、「山本さんに何もなければ、退院の可能性があるかもしれない」と言った後、口をつぐんでしまったのです。
やけどで皮膚を失った私の体は、雑菌の温床と化していました。
翌2004年1月5日、合併症により内臓に障害を併発。危篤状態に陥った私はICU(集中治療室)に運び込まれました。
意識が戻ったのは、それから1ヵ月後。
後から聞かされたのですが、40度の熱が1ヵ月間続いていたそうです。
担当医のひとりは、「正直、もうダメかもしれないと思った。目が覚めてよかった」とほっとしていました。
入院中は、生き地獄を味わいました。
全身の約30%が熱傷で、体中に炎症を起こしていたため、1ミリでも体を動かせば、激痛が走ります。
睡眠導入剤を飲んでも、「眠ったら、もう2度と目が覚めないのではないか」という恐怖にかられ、毎日2時間くらいしか眠れませんでした。
入院から4ヵ月後になんとか退院できましたが、炎症による発熱は、それから1年以上もおさまらず、アイシング用の氷のうを持ち歩いていたこともあります。
真冬でも、焼けただれた両腕を氷水に浸す生活が続きました。
九死に一生を得た私は、辛いリハビリに耐えながら、「自分に残せるものは何か」「自分が死んでも受け継がれていくものは何か」を模索しました。
そして、その答えが、「夢工場の建設(本社の移転)」だったのです。
今回、年間2000人の見学者が訪れる、鉄工所なのに鉄工所らしくない「HILLTOP」の本社屋や工場、社内の雰囲気を初めて公開しました。ピンクの本社屋、オレンジのエレベータ、カフェテリア風の社員食堂など、ほんの少し覗いてみたい方は、ぜひ第1回連載記事をご覧いただければと思います。