7月6日、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら、教団元幹部7人の死刑が執行された。26日には、死刑が確定した教団元幹部6人の死刑も執行。死刑廃止を訴える団体などは、今年3月14日に初めて再審を請求したばかりの井上嘉浩元死刑囚をはじめ、7人中、6人が再審請求中であったことを指摘(2回目の執行では6人中、4人が同じく再審請求中であった)。松本元死刑囚については心神喪失状態で「受刑能力」を欠き、刑事訴訟法に違反した違法な執行である、と抗議した。この場合、「心神喪失状態」と「受刑能力」とは何を指すのか。(医学ライター 井手ゆきえ)
「受刑能力」とは何を指すのか
死刑の自覚、意味理解の欠如
刑事訴訟法479条第1項は「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によって執行を停止する」としている。
これに従い執行事務規程29条では、死刑の執行指揮検察官は死刑確定者について刑法第479条第1項に規定する死刑の執行を停止する事由があると認めるときは、「直ちに法務大臣に報告してその指揮を受ける」と定めている。
この場合の「心神喪失」に関する明確な定義はない。
一般には刑事責任能力(後述)に準じ、ものごとの是非善悪を認知する「弁識能力」の有無が問題になるとされている。つまり、違法行為の有無を審理する裁判の判決に基づいて、“生命が絶たれること”を認識しているか、死刑という“刑罰の意味”を理解しているか、だ。
死刑の執行を停止すべき理由としては、心神喪失によって自らの先行きに対する自覚を欠く者は、“応報の苦悩・苦痛を体験できない状態”であり、刑を執行する意味がないばかりか、死刑が目的とする「正義の実行」を全うするという理念に反する、という意見が主流だ。
この文脈での「応報」が、遺族が抱く「応報感情」とは異なることに注意が必要だ。