1年前の震災発生時に、愛する娘が福島県浪江町で行方不明となり、立ち入り禁止区域に単身で潜入して捜し続けた父親がいる。神奈川県横須賀市在住の白川司さんだ。前連載「大震災で生と死を見つめて」では、白川さんの心の葛藤を紹介した。
あれから1年、白川さんは娘の遺体が見つかった場所へ再び向かった。「娘を死においやったのは、俺だった」と自分を責める父親に、現在の心境を聞くことを通じて、「3.11の教訓」を考え直してみたい。
お願いだ、浪江町に行きたいんです
娘が発見された岸に桜を植えたいんだ
4月17日午前7時30分、福島県内のとある検問所。「危険立入禁止」「危険 立入制限中」と書かれた看板がある。
200メートルほど手前で、横須賀市でライブカフェ『かぐ楽(ら)』を営む白川司さん(52歳)は、車を止めた。
持参した運転免許証などを確認した。警察にこれらを見せることで、信用してもらおうとした。後ろのシートにある、2本の八重桜の木を見つめた。1本は数日前、横須賀市内のホームセンターで購入した。もう1本は、大分県に住む知人が送ってくれた。
2本の桜を、浪江町の海岸沿いの河川敷に植えるつもりだ。福島第1原発の爆発事故により、浪江町は警戒区域の設定が続く。この検問所を通過しないと、浪江町には行けない。
白川さんは、娘である葉子さん(26歳)のことを思い起こした。1年前のこの日、浪江町で遺体として発見された。数年前に結婚し、富岡町で夫と1歳の女の子と共に生活していた。
葉子さんは、東京電力の福島第1原発でオペレーター(放射線・化学管理グループ)として勤務していたが、昨年3月11日は会社を休み、産婦人科に向かった。2人目の子の妊娠の可能性があった。