初沢 イデオロギー的に北の体制を受け入れられない、というのは日本人の感覚の大前提でしょうが、そこに拉致問題が加算され憎さが倍増した。同時に最高指導者の振る舞いとそれに従う人民の姿を異様なものとして面白がってきました。戦前、戦中の日本の姿とよく似ているからこそ、既視感から拒絶してしまうのかもしれませんね。

 2017年に、盛んに脅威論が叫ばれていた時の方が、その裏返しとして北朝鮮の一般市民の暮らしといった面にも興味が向かう可能性もあったかなと思います。もうミサイルも飛んでこなさそうだし、核実験もやめたらしい。南北会談・米朝会談での金委員長の振る舞いを見る限り、案外真人間かもしれない、と印象が変化する中で、北朝鮮への関心は急速に薄れてしまったのではないか。6月12日の米朝会談から2ヵ月以上たちますが、情報番組は北の話をほとんど取り上げなくなりました。脅威や恐怖に関心はあっても平和には関心がないのでしょう。

誰も戦争の可能性など
信じてないから興奮できた

三浦瑠麗
みうら・るり/国際政治学者。1980年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。東京大学政策ビジョン研究センター講師。株式会社山猫総合研究所代表。著書に『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮新書)、『日本に絶望している人のための政治入門』(文春新書)など Photo by K.S.

三浦 その感覚は共有できますね。というのは、雑誌も新聞も売るために北朝鮮何月開戦説などをあおっていました。でも、本当に戦争になると思ったら、怖くて海外移住考える人だって出てきそうなもの。しかし、そんな雰囲気はまるでありませんでしたよね。誰も本当にはその可能性を信じてないからこそ、無邪気に興奮していたのではないかと。

初沢 そうですよ。

三浦 北朝鮮核危機を消費して、賞味期限が過ぎた後に、はたと落としどころがないことに気が付いた。まず、核の問題は1年や2年で解決するような問題ではありません。そういう長期的な関心と働きかけを持続できるかというと、そうした気概は、日本社会全体にもう失せている気がします。核危機のさなかに何度か与野党の議員と共演しましたが、北朝鮮の改革開放路線に向けて、日本が何か注力しようという機運はまるで感じられませんでした。そこらへんが、韓国政府やメディアがじくじくと冷たさを感じているところなんだと思いますね。

 ただ、日本が置かれた立場を考えることも重要です。そもそも、危機を取り除くにあたって日本政府ができることは構造的に限られています。日本は攻撃力も持たず、核保有国ではない。ですから、北朝鮮を動かすレバーを持たないのです。そこは米国に期待するわけですが、かといって日本が米国を動かす力を持っているわけではない。韓国軍と違って有事には目立つ共同行動を取らないのですから当然です。しかも、前線国家としてリアルに北朝鮮と対峙している韓国とは違って、日本は脅威さえもリアルに感じていない人が多い。その結果として日本はダイナミックさを欠き、他力頼み的になるんですね。