あやめさんバレエから芸妓の道に入ったあやめさん 写真:大杉隼平 拡大画像表示

「芸者(芸妓・げいぎ)」といえば、京都・祇園を思い浮かべる人は少なくないだろう。しかし、そんな祇園、東京の新橋とともに、並び称されてきた街がもう1つある。それが新潟県新潟市の中心部にある「古町」だ。最盛期には400人とも500人とも言われる芸妓衆が連日お座敷を彩ったが、現在活躍する芸妓さんは14名。とはいえ、今も日本文化の大切な心や豊かさを継承し続けている。

いまだ芸妓文化には高尚で特別というイメージがある中で、現在、芸妓としてお座敷に立つのはどんな女性たちなのだろうか。古町芸妓の歴史や女性たちの姿を描いた『柳都新潟 古町芸妓ものがたり』から、現役で古町芸妓として活躍する1人の女性の生き様や素顔を紹介する。

4歳からバレエ漬けの日々
新潟から東京へ毎週レッスンに通う

 新潟・古町の人気芸妓のひとり「あやめ」さんは、日本髪と白塗りがよく似合う。いまのあやめさんだけを知る人は、「日本文化ひと筋の人」のように感じるだろう。ところが、少女のころの話を聞くと、和服姿からは想像もできない激烈な生き様が「和」の内側に秘められていた。

「4歳になったとき、母親に日本舞踊と西洋バレエの発表会に連れて行かれたのです。そして、どっちをやりたいかと聞かれました」

 唐突に迫られたあやめさんは戸惑った。まだ4つ、母の問いかけの意味もよくわからなかった。

「やはり、フリフリした衣装に惹かれたのでしょう。それに、日本舞踊を習っている友だちがいたので、知らない人ばかりのほうがいいと思って」、西洋バレエを選んだ。まもなく、母親に連れられ、新潟市内のバレエ教室に入った。それだけなら、恵まれた家庭の少女としてはよくある習い事。だが、あやめさんの母の<熱の入れよう>は、その域にとどまらなかった。