なぜ、地方は衰退するのか?
18歳にして全国の商店街が共同出資する会社の社長に就任し、すでに20年近く地方でのビジネス分野で奮闘し、酸いも甘いも経験してきた木下斉氏は、その理由を「稼ぐ力」の不足だと指摘する。
新刊『地元がヤバい…と思ったら読む 凡人のための地域再生入門』の発売を記念して、稼ぐ力のヒントを木下氏に語ってもらった。
経済効果というインチキ数字に惑わされてはいけない
――地方において「稼ぐ」といっても、なかなか難しい印象があります。
たしかに、地方で稼ぐのは「言うは易く行うは難し」です。私もずーっと奮闘しながらここまできたので、その気持ちは痛いほどわかります。実際に稼いでも、妬まれたりいろいろと文句を言われたりするのが地方活性化分野の難しさですから(笑)。
しかしながら、地方においてまず稼ぐことと向き合うべきなのは、地域活性化施策で「お決まり」となっている「まちおこしイベント」です。B級グルメ、ゆるキャラ、無料の◯◯配布祭り、花火大会……。とある観光地では花火大会をやれぱ満室になるからといって、花火大会を年に一度から、月に一度、毎週末と増加させた結果、主催していた旅館組合が破綻しそうになるという笑えない笑い話があったりします。
さらに行政が主催するイベントは最初から「儲けよう」とは考えていなくて、「人がくれば経済効果がある」などと曖昧なことをすぐに言うんですよね。はっきり言って、経済効果ってのはそもそもがインチキな数字です。
そのときに来た人が使うだろうお金を積算し、さらに経済構造分析に基づいて乗数効果まで入れてものすごい大きな数字で計算します。だけど、普段きている人が来なくなるなどのマイナス効果はまったく計算されない。
さらには、税金を使っているのにもかかわらず、税収にどれだけプラスになるか、はまったく考えない。
結局、ほとんどのイベントはお金を配って人を集めているのに等しいわけです。大きなイベントになれば数千万円の予算にもなるわけですから、いっそ「5000万円つかみ取り」とかやったほうが人はくるんじゃないですかね、みたいな話をすると露骨に嫌な顔をされますね。
まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」かのように、人を集めれば地域のどこかでお金が回るんだ、という「博打」形式でのイベントがあまりにも多すぎます。ちゃんと収支をあわせる発想がないのです。
地域再生事業家
1982年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。一橋大学大学院商学研究科修士課程(経営学)修了。一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表理事。内閣府地域活性化伝道師。高校在学中に早稲田商店会の活動に参画し、高校三年で起業。全国各地で民間資本型の地域再生事業会社を出資経営するほか、地方政策提言ジャーナルの発行、400名以上が卒業して各地で活躍する各種教育研究事業を展開している。
――木下さんはなぜ「イベント」で稼ぐことを重視と考えるのですか?
原体験は、商店街での活動に関わり始めた高校生のときです。私が関わるイベントは基本的に独立採算が当たり前でした。
環境まちづくりのイベントでも、大学のキャンパスを地域連携の名目でほぼタダで借りる。全国の環境機器メーカーさんたちから出店料をもらって、それを収入源にする。
参加者はまち中のゴミを集めてそのイベントに持ってきて、環境機器メーカーさんたちの機材などに入れて、どれだけリデュース、リユース、リサイクルといったいわゆる3Rが可能かといったことを検証する社会実験に参加する。
参加すると、参加者は景品として色々なものがもらえるのですが、一等賞はベタにハワイ旅行(笑)。商店会の加盟店の旅行代理店さんが格安ツアーを発見し、それを提供することにしていました。
運営は商店会や学生や社会人のボランティアで回されているので、商店会のほとんどのお店はイベント運営に手を煩わせられることなく、大学キャンパス内に出店して稼ぐことができました。
数万人という人が来るようになって、しかも社会実験的要素まであり意義もある。それでいて、ちゃんと収支が合うように運営されていたので、イベントとはそういうものだと思っていました。
しかし、その後に全国各地を見ていくと、「参加者数」ばかりを意識して莫大な予算をかけているものの、地元の人達が運営に血眼になって全然商売になっていない、というよくわからないイベントをたくさんみるようになります。
実務を知らない上の意思決定が現場の若手をすり減らす
――赤字なのに、なぜやめられないのでしょうか。
まぁ、最初からイベントは人寄せだから儲けなくていいという考え方があります。
さらには、どんなタイプのイベントであれ、一度始めると、やめる意思決定はなかなかできません。儲からないのにやめられず、目的も曖昧なままに続く数々のイベントは、そもそも人手不足の地方をますます疲弊させています。
仮に人がたくさん来ても、商売の仕方が下手なばかりに、赤字となるイベントが跡を絶ちません。やってもやっても赤字なのです。
そしてその犠牲者の多くは、役所や民間の若手世代だったりします。
休日返上で駆り出される若手たちは、最初は熱い想いを持って取り組んでいても、そのうちに単なる運営のめんどうなことばかりと向き合い、得られるものは当日の集客程度の「一過性の成果」しかないという現実に飽き飽きしてきます。
しかし、その犠牲者たる若手世代は意思決定のレベルにいない。結局は実務をせず現場を知らない上の人間が「毎年やるべきだ」と意思決定し、若手はどんどん疲弊していくわけです。
だから、私は新しいイベントを企画しているといった話を聞くと、まず今やっているイベントを整理をすべきだと話します。そして具体的にイベントのリストを見せてもらい、運営が大変な割に効果がイマイチで、毎年右肩下がりになっているイベントをまずひとつやめてみましょう、と提案します。みんな、結構賛成します。しかし、いざ具体的にどれだと聞くと口を閉ざすわけですね。
それでもって、私がその話を聞いたうえで「このイベント、やめたらどうすか?」と話をすると、いやいや、それは無理だなどと言い出すわけです。話し合いに参加していたお爺さんがいきなり立ち上がって怒り出したこともありましたね。
「それは俺等が会長をしているときに立ち上げ、これまでやってきたイベントだ。俺の目の黒いうちは絶対にそれだけはやめさせんぞ」
とか言うわけです……。はぁ、まぁそうですか、と。そりゃ若手がこの組合に関わりたくなくなるわけだ、というのがわかるわけです。
イベントをやめることが、そのイベントを始めた人の人生を否定するかのような受け取られ方をしてしまっている。
そんな具合に、イベントといっても誰かが、どこかのタイミングで始めた経緯があるので、その人が物分かりがいいか、もしくは亡くならない限り、赤字であっても組織の予算を投じ続けてずーーーっと続いてしまうんですよね。
その点は行政も民間団体も同じです。人のカネを使ってイベントをやっていると、感覚が麻痺するんです。
そして、たかだか10年も継続していると、「地域の伝統だ」みたいなことを言い出す人がいる。怖いことです。儲かってもいないし、かといって誰かが旦那衆的にお金を出してやっているわけでもなく、みんながただ働きして、さらに組織の金や税金を使って大赤字なのに、やめられないわけですね。
やめるために「達成期限」を定めよう
――では、どうしたらよいのでしょうか?
上の世代を説得しようとしても喧嘩になるだけということも多い。なので、そのイベントとは別に、言われてやる受け身のイベントではなく、ちゃんと収支を自前で合わせてやる地に足のついたイベントを、負荷のないカタチで進めることから始めるようにしています。
小さなグループを仲間と立ち上げて、ですね。
あと、何より、イベントそのものが自己目的化しないように、次に繋げる先を明確化することですね。
たとえば、この地域に新たな出店者を集めていきたいなら、まずは、小さなマーケットのイベントを立ち上げて、「このエリアに出店してもらいたい人たち」に自分たちで声をかけて出店してもらう。もちろん、出店料をもらって。
そのうえで、地元の人たちに対しても、しっかり買ってもらえるように営業する。そうすれば、「あぁこのエリアは、商売になるかもな」と始めて思ってもらえるんです。
そして、出店したい人が出てきたら、ようやく物件とつないでいく、といった具合に、イベントだけを個別にやるのではなく、大きな狙いの中で位置づけること。
ずーっと出店してくれなくてもいいから、まずは一日だけ出店してもらう機会をつくるために開催するわけですね。やってみて駄目だったら、自分たちが始めたことだしやめればよい。小規模だから痛手も小さい。ライトにやるのが大切です。
そして何より、そのイベント企画自体はちゃんと独立採算でやるべきです。
ただ、いまだに「稼ぐ視点」がない人は「出店してもらう」=「補助金での空き家対策」と考えていたりしますね。
「稼ぐ視点」を身につける場として、本来イベントはかなり有効な場です。
大きな設備投資はいらないし、毎日の労働力確保なども考えなくてよいわけですから。
しかし、そのときに、単にイベントを目的化してはいけません。
どういうコンセプトを打ち出し、どういうメッセージを発信し、どういう集客ツールでを使い、どういう商品を、いくらで売っていくのか……などしっかりと戦略を考え、実践し、黒字化することがとても大切なのです。
そして、当初の目標でもある新たな地域への出店の達成期限を定めること。期限までに達成されなければ、やめる。何事も、最初からやめるタイミングを決めておくのが大切ですね。
これらのポイントを外してしまうと、どれだけ労力をかけても稼げず、疲弊感だけが残る結果になりかねませんから。