世界版「高輪ゲートウェイ」の残念すぎる末路

JR東日本は12月4日、山手線・京浜東北線の品川‐田町間につくられる新駅の名を「高輪ゲートウェイ」に決定した。これに、ネット上が騒然となった。駅名の違和感もさることながら、公募されたにもかかわらず、この「高輪ゲートウェイ」の名の応募数の順位は、なんと130位だったからだ。そもそも公募する意味があったのかと大炎上したわけだ。
これは旧弊な、いわゆる「オールドパワー」の組織が「ひとつ新しいことでもやってみよう」と考えたときによくやりがちなことにも見えるが、いま話題となっている書籍『NEW POWER これからの世界の『新しい力』を手に入れろ』によると、こうした失敗は、現在のようなSNSが発達して「つながり」が緊密化した社会において、最も危険だという。
同書の中で、まさに同じような「公募の失敗例」について詳細に論じられているので、特別に公開したい。そのスケールは「高輪ゲートウェイ」のグローバル版と呼ぶべきもので、延べ2億5000万人にリーチし、ハッシュタグはツイッターでなんと2300万回も使用されたという。さらにその結果、国会審議にまで発展したという壮大な失敗例だ。これを読めば、群衆の力を取り入れるなど、いまのテクノロジーを活用して効果的に話題づくりをするにはどうするのがよいか、あるいは何をしてはいけないかが身にしみてわかるはずだ。

気軽に名前を公募したら「とんでもない」結果に

 2016年5月10日火曜日、午後2時30分、イギリス国会議事堂のウィルソン・ルームで、英国のある船舶についての審議が始まった。

 議長は初めに、自然環境研究会議(NERC)の最高責任者、ダンカン・ウィンガム教授に質問した。

「大臣はこの結果に満足されていると思いますか? それとも、あなたは辞めさせられると思いますか?」

 ウィンガムはたいしたもので、英国議会とは思えないドナルド・トランプ張りの大風呂敷きで、この案件は「驚異的なまでの偉大な成果」を上げ、NERCは「おそらく世界でもっとも有名な研究局」となったと豪語した。

 ついには国会での審議にまで発展したこの船のストーリーだが、始まりはドラマチックでも何でもなかった。

 NERCはイギリス政府の地味な独立機関で、環境科学分野の公的助成金のおもな給付機関として研究や大学などへの支援を行っている。

 2016年の初め、NERCは3億ドルをかけて、新たな極地調査船を建造すると発表した。「英国史上最大かつ最先端の調査船」であり、2019年から運用を開始する。

 この歴史的な瞬間に大衆を巻き込もうと、NERCは「#船に名前をつけよう」(#NameOurShip)というキャンペーンを開始し、広く一般から名称を募り、投票で決定することにした。NERCのプレスリリースには「エンデバー」「シャクルトン」「ファルコン」など、すでに集まった威風堂々たる名称案がずらりと並んでいた。投票は1ヵ月後の予定だった。

 オールドパワーの政府機関による、このありがちなニューパワーの試みに、さっそく注目した人物がいた。元BBCの司会者、ジェイムズ・ハンドだ。

 彼はエンデバーのような名前には食指が動かず、もっと茶目っ気のある名称に惹かれた。それで公募ページの応募欄に「ボーティ・マクボートフェイス」(注:船山船男のようなだじゃれ的な名前)と打ち込んだ。理由を説明する欄には単純明快にこう書いた。「とにかくすばらしい名前であるため」

 果たして、ネット上でこれが大受けした。

「ボーティ」はたちまち数万票を獲得した。アクセスがあまりに急増し、NERCのウェブサイトはダウンした。投票開始から3日後、ハンドはじつに英国人らしい謝罪をツイートした。

「@NERCscience このような事態となり、まことに申し訳ない」

 これが世界のメディアの興味を引き、ナショナル・パブリック・ラジオ、ニューヨーク・タイムズ、CNNなどが騒ぎ出した。ボーティは注目の的となり、ニュースやテレビ番組で盛んに取り上げられ、イギリス中のパブや食卓で話題となった。

 ジェイムズ・ハンドのもとには、米国大手客船会社ロイヤル・カリビアン・インターナショナルから、新しい船舶の命名に当たって知恵を借りたいという依頼が舞い込んだ。社長兼CEOのマイケル・ベイリーいわく「イギリスの人は、巨大な船舶にふさわしい名前を選ぶ目が肥えているようだ」。

 ボーティは海外でも話題だったのだ。

 このキャンペーンは延べ2億5000万人にリーチし、ハッシュタグ「#船に名前をつけよう」はツイッターで2300万回も使用された。ウェブサイトの閲覧数は230万PVに達した。もちろん、ボーティは12万4000票を獲得して圧勝を飾り、トップ10のその他の候補を大差で引き離した。

 このイベントは僕たちの言う「クラウド・ジャック」に遭ったのだ。つまり、群衆の遊び心によって、当初の意図から外れてしまったわけだ。