◇セゾンが文化を「民主化」した

「どんなに強い百貨店でも、変革しなければ生き残れない」。米国の滞在を経て、堤はこんな危機感を強めていた。1960年代以降、パリに駐在する妹・邦子の助けもあり、エルメスなどの欧州の高級ブランドをいち早く導入。百貨店の「格」を上げることに成功した。

 1968年には、西武渋谷店を出すなど、多店舗展開を進める一方で、ビジネスモデル自体もつくり替えていった。西武池袋本店の「9期」増築リニューアルでは、最大の目玉として、最上階に常設の「西武美術館」を導入。業界初の試みだ。堤自身が傾倒していた現代美術を中心に、知的なイメージを発信していった。

 大事にしたのは、生活者のライフスタイルの変化に寄り添うこと。この時期に、ライフスタイル別商品構成を具現化した「ロアジール館」をオープン。これは、生活雑貨店「ロフト」、音楽専門店「WAVE」、書店「リブロ」などの専門店の前身となるものだ。

「大衆にも文化の香りがする豊かな生活が手に入る」。こうしたイメージのもと、セゾン文化は、一部の富裕層のものだった文化を「民主化」したのだ。

 広告、放送や出版、映画製作といった、大衆性のあるコンテンツやメディアにまで触手を伸ばしていく。これにより、西武百貨店のイメージ戦略は圧倒的な支持を得た。コピーライター糸井重里が「じぶん、新発見。」「おいしい生活。」といった、セゾン文化の代名詞となるコピーを紡ぎ出したことも、後押しとなった。こうした戦略が奏功し、1987年度の西武百貨店の売上高は、業界1位となった。

◇挫折の連続の中に見えた先見性

 1980年代の第2次多店舗展開の中でも、西武有楽町店、西武筑波店、西武塚新店の3店舗は、堤の理想の百貨店像を具現化させようとしたものだった。

 西武有楽町店に関しては、世界有数の商業地、銀座・有楽町地区に乗り込むという意味合いもあった。店舗はライバルの松屋銀座店の3分の1程度と狭く、地元商業者の強い抵抗により、「銀座」を店名に使えない。広告コピーでは、そんな不利な条件を逆手にとった。「ほどよい狭さの、大世界。」。逆境をバネに変えるセゾングループの真骨頂といえる。コト消費の象徴として、チケット販売の「チケットセゾン」の第1拠点を置いたのも、この西武有楽町店だった。