7年ぶりに天津を訪問してきた。中国の4つの直轄市の中の一つとして知られる天津に対して、これまで私はあまり関心を払っていなかった。私の偏見によるものではなく、天津の地盤沈下があまりにも深刻だったためだ。
2009年に出版された拙著『「中国全省を読む」事典』(新潮文庫)の古いバージョンは、『中国全省を読む地図』だった。自分で言うのも何だが、中国各省・市・自治区の概要をコンパクトに、しかも幅広く紹介した同書は相当売れていた。
それを執筆したときは、自分が比較的よく知っている地域から書いていき、最後に書いたのが天津市だった。3回書き出したが、天津の特徴を今ひとつつかんでいないと思って3回後回しにした。これ以上後回しにできない最後の最後になって、ようやく「甘栗」と「携帯電話」をキーワードに、なんとか天津の章をまとめた。
北京との合併説がでるほど
一時は凋落した天津
天津といえば、北京、天津、上海(滬)を言い表す「京津滬(コ)」という熟語があるように、かつては上海に次ぐ中国2位の大都市で、産業、商業、海運、鉄道のどれを取っても、その存在は侮れなかった。しかし、この「京津滬」という熟語は、いまや死語に近いような存在である。その天津にとってかわったのが、今の広州だ。
天津周辺を入れると、京津唐地区(北京、天津、唐山)と表現することも多い。改革・開放が始まった1980年代初期、広州のある珠江デルタの経済的実力は京津唐地域の足元にも及ばなかった。1990年には、両者は互角となり、それ以降は、天津の地位低下は目を覆いたくなるほど惨めなものだった。