卓也を大学まで卒業させ、岡田屋の代表取締役とした後、千鶴子は一旦岡田屋の経営から身を引く。その後復帰し、卓也の描くさまざまなビジョンを実現するため、矢継ぎ早に人事施策を実行した。当時の岡田屋・ジャスコがおかれた状況を踏まえて読むと、大卒者の定期採用、女性社員の戦力化、企業内大学の発足、ジャスコ大学・大学院の設立など、これらの人事施策がなぜ必要だったのか、そしてそれらの施策がいかに効果を発揮したかがよく理解できるはずだ。

「いかなる優れた企業も、社会の変化に適応しなければやがて衰退する」――標語のようによく言われることだ。だが、それを現実的な危機として実感し、変革を推進するリーダーの育成は、現代においてますます重要であるに違いない。今こそ読まれるべき一冊であるといえよう。(星名大輔)

本書の要点

(1)千鶴子は最高人事責任者として、四日市市の岡田屋をジャスコへ、そしてジャスコをイオングループへと育て上げる基盤を築いた。
(2)千鶴子はしばしば、社員に「問題あらへんか?」と問いかける。このひと言によって、仕事で困っていることはないか、お客様からの苦情や商品の品切れ、上司・部下の関係、そしてプライベートに問題はないかを尋ね、手を差し伸べようとしているのだ。
(3)千鶴子の人事政策の要諦は、変革を許容し、積極的に対応する人材を育成することである。

要約本文

◆小嶋千鶴子の人生
◇岡田呉服店の代表取締役に就任

 岡田卓也イオン名誉会長(以下、卓也)は「姉、千鶴子がいたからこそ、現在のイオンの繁栄があることは間違いありません」という。三重県四日市市で生まれた岡田屋をジャスコへ、ジャスコをイオングループへ育て上げる基盤を築いたのが彼女である。

 小嶋千鶴子(以下、千鶴子)は、家業を企業へ、そして産業へと育て上げた。そしてその過程で数々の合併を成功させている。その手腕から、人々は彼女を「人事・組織専門経営者のレジェンド」と呼ぶ。驚くべきことに彼女は、半世紀前に今日で言うところの「経営人事」「戦略人事」の概念を確立し、CHRO(最高人事責任者)の役割を果たしていた。

 千鶴子は1916年、四日市の呉服屋の次女として生をうける。そしてその約10年後、長男の卓也(のちのイオングループ名誉会長)が誕生した。