日本政府は危機回避のための
「想像力」を働かせたか?

 企業、大学、役所、そして公的機関の報道対策アドバイザーを十数年務めてきて身にしみて痛感するのは、つくづく「危機管理」で重要なのは「想像力」だということだ。

 炎上している局面では、その場しのぎの対応をすれば世間から袋叩きにされるし、不正を公表しないでクサいものに蓋をすると後でもっと大変な事態になる…などなど、経営者でも高級官僚でもみな頭ではよくわかっている。わかっているが、「危機」が起きると、その場しのぎの言い逃れをして、クサイものに蓋という対応をとってしまう。世間からボコボコに叩かれるような事態が、自分の身にも起こるかも、という想像力が働かず、「俺は大丈夫」と根拠のない自信を抱くからだ。

 自分自身の仕事を振り返っても、やってきたことの要諦は、いかに経営トップなどに「最悪を想像してもらうか」ということである。

 メディアや顧客など、組織外からこういう批判が来るかもしれないなど、最悪のシナリオを提示して、無駄な対立や衝突を避けるような「安全策」を考えていく。模擬記者会見で実際に登壇して、厳しい追及に対応をしてもらうことで、いかに自分たちがご都合主義的な説明をしているかということに気づいてもらう。

 すべては「想像力」を働かせてもらうことを目的としたものだ。

 こういうことを日常業務としてやってきた人間からすると、「令和」という新元号を検討する際に、政府内部で、いったいどのような「想像力」が働いたのか、ということは非常に気に掛かる。

 例えば、本稿の冒頭でいくつか紹介した「令和」へのイチャモンについては、政府内の危機管理を担当する人たちはどれほど予見して、どのような対応を取ろうとしていたのか。

 新元号発表直後、アナウンサーが「命令の令に、昭和の和です」と文字を説明したことからもわかるように、ほとんどの日本人は「令」という文字から、「命令」「辞令」「司令」など連想する。

 もちろん、広い世の中なので、「令月の令ね。いやあ、これはめでたい文字を使ったね」というリアクションの方もいらっしゃったかもしれないが、大多数は「上」から押し付けられるようなイメージを抱いたはずである。

 実際、歴史学者で東京大学史料編纂所の本郷和人教授も、《「普通に使うと使役表現となり、中世の人に読ませると『人に命令して仲良くさせる』となる」(Abema TIMES 4月3日)と述べている。