時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。また、その原体験はどこにあるのか。今回は、中学時代に航空会社を起業すると決意し、その資金獲得のためにテクノロジーを駆使したメディアサービスを立ち上げ、多くの大手報道機関や一般ユーザーから支持を得ているJX通信社の米重克洋さんです。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集長 深澤 献)

大手航空会社社長の発言に
怒りを覚えて起業を決意

米重克洋氏
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──プロフィールを拝見すると、小学校時代は転校の連続ですね。

 父は検事で、転勤族でした。生まれは山口ですが、小学校入学前から何度も引っ越しをしていて、小学校は広島、福岡、熊本、東京の4カ所に通っています。どこも1年か2年しかいなかったので、当時の友達関係は続いていません。

 一人っ子で、母は英才教育志向でした。それこそ、息子は東京大学に入れたいと思っていたのでしょう。受験塾にも通っていました。好きだったのは国語や社会系。算数や理科は嫌いでした。成績表の通信欄には「興味がないことには無関心な子」といったことを書かれていました。

 外で遊ぶよりインドアで過ごすのが好きで、本も読みましたし、自宅で購読している新聞を、家で真っ先に読んでいたのは私でした。広島では「中国新聞」を、熊本では「熊本日日新聞」をという具合で、1面から順に読み、株価とスポーツのページは飛ばして、社会面まで進むという読み方です。

 このころの将来の夢は、覚えていません。父の職業である検事は、仕事内容が厳しそうだし、転勤の多さに自分自身が巻き込まれていたこともあって、憧れることはなかったですね。

 小学6年生のときに「あまり引っ越すのもよくないだろう」ということで、東京にマンションを買い、そこへ移り住みました。