時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。第3回は、老若男女が楽しめる「チャンバラ合戦」という多世代交流型アクティビティを主催し、普及に努める米田真介(よねだ・しんすけ)さんです。本、映画、恩師の言葉……若いころに心を動かされる体験をどこから得たか。米田さんの場合はゲームでした。(聞き手/『週刊ダイヤモンド』編集長 深澤 献)
IKUSA代表米田真介Photo by Masato Kato 拡大画像表示

優し過ぎた兄との断絶
死ぬことも考えた日々

──「大阪城下に生まれ落ち、大阪で育った」と自称していますね。

 大阪城が見える家に生まれ、育ちました。裕福とも貧乏とも感じていませんでしたが、家は市営住宅だったので、今思うと、経済的には普通より少し下だったのでしょう。でも愛情のある一般的な家庭で、人が嫌がることをするなと常識的なしつけを受けました。

 きょうだいは五つ年上の兄と、二つ下の妹。兄にくっついて遊んでいたので自然と運動神経も良くなりましたし、勉強もできた。特に悪いことをすることもなく育ちました。

 兄は優し過ぎるほど優しかったです。子供のころ、家の中に蛾(が)入り込んできて母がそれを殺したことがあるのですが、兄はその死骸を持って「かわいそう」と泣くくらい、本当に優しい人でした。だから、時にはケンカしながらも、わがままを聞いてもらいました。

 ただ、ケンカではどうしても兄に勝てないんですね。そこで僕は小ずるい手を使ってでも勝ちたいと思うようになり、親にうそを言うようになりました。ケンカの原因は明らかに僕にあるのに、兄のせいだと言うようになったのです。

 小学校3年生のときです。その日も僕は兄にケンカを仕掛けて、勝てそうにないので、うそを言って親に泣き付きました。「兄にハサミで攻撃された」と。当然、親は兄を叱ります。でも本当は逆で、ハサミを持ったのは僕だった。