エアアジアやジェットスターなどの黒船LCCが続々と日本に上陸した。海外で成功したLCCモデルを引っ提げてきたものの、想定外の難航に悪戦苦闘している。異国での格安短距離線、異国をつなぐ格安中長距離線には、それまでの成功体験が通じない。(ダイヤモンド編集部 柳澤里佳)
「あれはナイトメア(悪夢)だった」──。アジア最大規模のLCCであるエアアジアグループのCEO、トニー・フェルナンデスはエアアジア・ジャパンを発足した8年前をこう振り返る。
エアアジアは2001年にマレーシアで2機の飛行機で創業し、格安運賃が支持されて急成長。10年に羽田~クアラルンプール線を乗り入れて以降、本格的な日本参入を探っていた。そこで出合ったのがパートナーとなるANAホールディングス(HD)だった。
ANAHDは当時、規制緩和による外資LCCの参入に焦っていた。外資に格安運賃で市場を荒らされるくらいなら、抱き込んでしまおう──。そんな思惑があったのだろう。ライバルの日本航空(JAL)も豪州のLCC大手ジェットスターと提携交渉していた。
ANAHDが67%、エアアジアが33%を出資して11年にエアアジア・ジャパンが設立された。翌年に成田空港を拠点に運航を開始。が、その経営は誤算だらけだった。
例えば販売方針。自社ウェブサイトによる直接予約を据えたが、サイトが使いにくかったせいもあり、日本の利用者に受け入れられなかった。搭乗率は上がらず、業を煮やしたANA側が旅行会社に航空券を卸し始めると、エアアジア側は「販売手数料が掛かる」と反発。真っ向対立を繰り返した。