自分のダジャレは一期一会
きっかけなしでは思い出せない
後年、僕が残したダジャレへの功績が死後、各学会で評価され「日本ダジャレ史」が編纂される際には間違いなくターニングポイントとして記録されるであろう国家レベルの重大なできごとが、前回のこの連載の更新以後にありました。
「ダジャレストック用ファイル」。ただつらつらと1000個ほどのダジャレが並んでいるこのファイルは、僕が5年ほどの間に自然に思いついたダジャレをメモ的に貯め込んだもの。
僕のPCのデスクトップには常にこう書かれたファイルが置いてあり、メール中に、ツイッター中に、Facebook中に、電話中にと思いついたら即タイプ。さらに、外で思いついたら携帯メールで自分のPCアドに送っておきあとでここにコピペします。と言っても始めたのは『ダジャレ ヌーヴォー』を出したあとに、これからはダジャレのプロとしての自覚を持って生きていかねばならぬと思い立ってからのことですが。
ダジャレは使う場面がないときにはそうそう思い出せるものではないので、こうやって地道に謙虚に、次に披露することがあるんだろううかと寺門自問自答しながら、アリとキリギリスのアリになりきってせっせせっせと貯めているわけです。
そうやって貯め込み5年経った2011年初頭。MacがクラッシュしてHDがパー。まだMacのタイムマシーンを導入してなく、他のいかなるデータよりもこのファイルをなんとかサルベージしたかった。仕事のたいがいのデータは、本になっていたり、印刷所やデザイナーさんのところにあったりしますが、こういうメモの類はバックアップ取ってないことも多い。これも重要なものと知っていたにもかかわらず、デスクトップにあったがゆえにデータはパーと絶望のどん底に突き落とされました。オレの二度と戻らない青春の5年間(40代後半)を返せ!
メモ的なものとは言っても、もう一度考えれば結論に到達するとか、記憶を辿れば思い出すとかそんな道筋が見える物ではないのですから。ダジャレそのものは急に思い出そうとしも無理なのです。と、ダジャレ歴40年のダージャリストとして強く主張させて頂きます。