芸能人の謝罪の極意は
「いけにえになる覚悟」

 ただ、そもそも芸能人の謝罪には根本的な疑問がある。いったい誰に謝っているのか、という点だ。田口のように犯罪で逮捕された場合ならまだしも、不倫や浮気などは、当事者間あるいは家族の問題であり、世間の誰に迷惑をかけたという話ではない。

「よく芸能人が世間に対して『お騒がせしました』と謝罪することがあります。もちろんスポンサーへの謝罪という意味もあるのでしょうが、正直騒いでいるのはマスコミであって世間ではありません。少なくとも、海外の著名人が不倫や浮気をしたからといって、会見を開くなんてことは聞いたことがありません」

 中には、芸能人のスキャンダルに対して裏切られたという思いからバッシングに転じるファン、あるいは他人の不貞に目くじらを立てる高尚な人間もいるだろうが、そこまで憤慨する人間は“稀”である。つまり、芸能人の謝罪会見の際、視聴者が求めているのは謝罪ではないのだ。

「謝罪会見というのは、『私は薄汚い、ダメな人間なんです』というのをさらけ出す場所です。騒動や不祥事は、当事者である人物がバッシングの場に立たされることで、初めて収束します。とはいえ、円楽さんのように覚悟を決めて会見に臨めるような人は少なく、多くの人は批判の的にされるのが怖くてついつい余計な言い訳をしたり、会見から逃げてしまいます。そうすると、いつまでも火種が残り続けてしまうのです」

 かつては、芸能人がスキャンダルや不祥事を起こしても、マスコミと芸能界の関係だけで情報をある程度コントロールできていた時代もあった。だが、SNSが普及したことにより、ネット上には延々とネガティブな情報や意見が残り続けてしまう。だからこそ、当事者がみそぎを済ませる必要があるのだ。

 いずれにせよ、群衆の集団ヒステリーは、芸能人の「恥」をさらし上げることでしか鎮まらないのだとすれば、何とも救いようのない話だ。