これまでお伝えしてきた通り、われわれコペルニクは開発途上国の最貧困層をターゲットに、シンプルなテクノロジーを届けている。実は、これらの途上国向けのテクノロジーが、先進国の日本でも役立ったことがある。それは、東日本大震災直後の東北でのこと。途上国を活動のベースにしているコペルニクがどうして日本の被災地支援に乗り出したのか。そしてそれがどのようなインパクトをもたらしたのかを含めて、その時の様子について書いてみたい。
国連時代の教訓が
被災地支援を躊躇させる
2011年3月11日、ちょうど日本に出張中だった僕は、広尾界隈を歩いていた時に強い揺れを感じた。「かなり揺れが強いな」とは思ったが、その時はこれほどの惨事に至るとは想像もしていなかった。しかし、それから数時間後に始まったテレビ中継を見て、前代未聞の被害が出ていることを知る。すぐにコペルニクとして何かできないかを考えたが、僕は少し躊躇していた。国連時代の「自然災害支援の教訓」があったからだ。
まず、自然災害の対応をする国連の人道援助機関では、被災地できちんと情報共有し、活動の重複をなくすためにも、「現地コーディネーション」の必要性を強く訴えている。なぜなら、途上国で大規模な自然災害が起きると、その直後から多くの機関・団体が一斉に被災地に向かうため、現地で大きな混乱が起きるからだ。また、現地の政府においても、何百という小さい団体に対し、個別に対応することができないという事情もある。
実際に、災害直後における各支援団体間の調整は非常に重要で、シェルターや食料といった具合に、支援の種類ごとのクラスターができあがり、ここを通じて現地での情報共有が行なわれるようになっている。こういった調整を担うために、特別の機関「国連人道問題調整事務所(OCHA)」という組織までできているくらいだ。
一般的に大災害直後は、道路や港などのサプライチェーンの重要拠点が破壊されることが多い。僕の過去の経験から見ても、そのような非常事態時においては、ヘリコプターやトラック、大きな船などを動かすことができる大規模な資金を持った団体しか支援を届けることができないということを肌で学んでいた。
だからこそ、コペルニクという、立ち上げたばかりの非常に小さい団体が、被災地にどのような貢献ができるか、僕自身、当初は懐疑的だった。まずは地方行政が迅速に対応すると思っていたし、小さな支援機関が殺到することで行政の調整負担を増やしてもいけないので、ここは大きな機関に任せておくのがいいとも思っていた。
「灯り」のニーズに注目。
被災地支援に乗り出すことに
しかし、僕の考えとは裏腹に、震災から数日後、居ても立ってもいられないという想いからか、多くのボランティアや小回りの利く小さな団体が自発的に現地に赴き、食料などの支援物資を届け始めたという事実を知る。コペルニクにおいても、ボードメンバーやスタッフ、ボランティアから、「コペルニクは被災地支援に貢献できるのではないか」という声が出始めた。