意表を突かれた私はハッとしたが、こういうときはとりあえず感謝しておけば良いと思って、「大変活発な議論を目の当たりにして、すごいなと身が引き締まりました。ありがとうございました」とお茶を濁した。

 すると、参加者全員がキッとこちらを見た。そして「そんなきれい事を言ってもらいたくて聞いたのではない。本当に思ったことを言え」と言うのである――少し面食らったが、そこまで言うのなら「もうどうでもいいや」と思って、議論の前提となっている仮説の説得力の弱さ、個人のモチベーション維持だけに重点が置かれている無謀な営業対策、想定している顧客の偏りなど、本当に思ったことを延々述べてしまった。気が付いたときには、もう手遅れ。言いたい放題の大演説をしてしまったのである(30年くらい前のことなのに、昨日のことのようによく覚えている…)。

「やっちまった…」と思った。しかし、意外なことに、「おまえ、オモロいな」と出席者たちは好意的で、その後、その事業部のいろいろな会議に呼ばれるようになった。

 これは、昔の会社が良かったとか、ましてや自分の自慢話として引いた例ではない。

 この会議の出席者(部長たち)は、日頃からとてつもなく高い目標に向かって、成果を出し続けることを義務付けられていた。自分たちの中では、これ以上ないほどに策を考え尽くしていた。だから、自分たちとは立場の違う人間の視点、これまでとは違った角度からの批判などを心の底から希求していたのだ。

 若かろうと年寄りであろうと、内部であろうと外部であろうと、バカであろうと現場を知らない人間であろうと、何か少しでも参考になることを言ってくれそうな人であれば、誰でも良いと思う人たちだったのである。

「使えるものは親でも使え」というのが発想の原点にあり、たまたまそのとき、彼らの求めていたものと、入社直後の何も知らない若い兄ちゃんの無鉄砲な意見が少しだけマッチしたにすぎない。真に成果を欲する人からすれば、たとえ新入社員の話でも聞かないわけにはいかなかっただけなのだ。