「和敬塾」という珍しい男子学生寮がある。すでに卒塾生は5000人を超え、現在も大学や出身地、国籍、宗教の異なるさまざまな学生が暮らしている。同塾で学生時代を過ごしたJICA(国際協力機構)理事長の北岡伸一氏に寮生活での思い出をたずねた。(清談社 村田孔明)
『ノルウェイの森』の
舞台となった寮
和敬塾の設立は1955年。産業用冷凍機の国内シェアトップを走る前川製作所の創業者・前川喜作氏が都内を一望できる目白台の細川邸7000坪の土地を手に入れ、学生寮を建設した。
北岡伸一氏が東京大学(文科一類)への進学を機に和敬塾に入塾したのは、1967年のことだった。
「前川先生が相当な私財を投げ出しただけあって、東大駒場寮や県人寮と比べて和敬塾は立派なところでした。たしか敷地内には芝生のテニスコートまでありましたから」
青年教育に力を入れる和敬塾では、講演会も頻繁に開かれている。登壇者は政治家、実業家、ノーベル賞受賞者、探検家など。各界の第一人者の生の声が聞ける貴重な機会だ。しかし参加を強制されたのには違和感を覚えたという。
「学生服を着せられ、出席もとる。面白い講演もありましたが、何事も強制されるとうっとうしくなります。村上春樹さんは『ノルウェイの森』で、和敬のそういうところをやや皮肉なタッチで描いていますね」
小説家の村上春樹氏は、北岡氏の1年後輩にあたり1968年に和敬塾に入った。半自伝小説『ノルウェイの森』は、和敬塾での日々がモチーフとなっている。
小説でも描かれているように、和敬塾は上下関係の厳しい寮だ。それでも北岡氏は先輩からうるさく言われることはなく、自由を尊重してもらっていた。東大の秀才で、弁が立つ、そして芸術への深い造詣も持つ北岡氏は、先輩も扱いづらかったのかもしれない。まさに『ノルウェイの森』の“永沢さん”のような存在で、実際に小説を読んだ人からは「あの永沢のモデルは北岡ではないか」とよくたずねられるという。