皆さんは「エピクテトス」という哲学者をご存じだろうか? 日本ではあまり知られていないが、「ストイック」(禁欲的)という生き方を打ち出した源泉のひとつであり、キリスト教、仏教、無神論など、様々な立場の違いを超えて、古今東西、多くの偉人たちにも影響を与えた古代ローマ時代の哲学者である(エピクテトスについては別記事を参照)。欧米では、古くから彼の言葉が日常の指針とされており、近年ではさらに注目を集めている。そのエピクテトスの残した言葉をもとに、彼の思想を分かりやすく読み解いた新刊『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』(荻野弘之・かおり&ゆかり著、ダイヤモンド社)が9月12日に刊行となった。今回は、本書の著者である上智大学哲学科の荻野弘之教授に、その思想について解説してもらった。

「死」を眼前に置きなさい

 今回は、エピクテトスの以下の言葉を取り上げて解説したい。

 死や追放や、その他何でも「恐ろしい」と思える事柄を、毎日のように君の眼前に置くようにするがいい。その中でもとりわけ死を。
 そうすれば、君は決して卑しいことを考えたりしなくなるだろうし、度を過ごして何かを欲望することもないだろう。

「死を想え」(メメント・モリ)という有名な格言がある。ローマ時代の文人たちは、書斎の机の上に髑髏(どくろ)を飾ることを習慣としていた。その有様を描いた西洋絵画は少なくない。いつかは自分もこうなるのだと嫌でも自覚するように、毎日眼前に不気味な置物を置いて眺めていたわけである。

 いつか死ぬこと、それ自体は避けられない。しかも、それがいつやって来るかも厳密にはわからない。人間である以上、誰にとっても死は「我々次第のもの」ではないからだ。エジプトでも中国でも「不老不死」は、昔から王侯の見果てぬ夢だった。しかし、それはいまだ果たせていない。現代の医療技術は随分進歩したが、それでも死を少しだけ先延ばしにするくらいだ。

 いつか自分は必ず死に、消え去るのだと想えば、いたずらな欲求に振り回されることはない、というのがこの章でのエピクテトスの眼目である。死を想えば、地位や名誉、財産など、これらを得るために人生を棒に振ることがいかにムダなことかがわかるだろう。

・本当の幸せとは何か?
・自分が人生で成し遂げたい信念は何なのか?

 死を眼前に置くことで大切なことが見えてくる。当たり前のことのようだが、果たしてどれくらいの人が本当にそれを意識できているだろうか。

 ただし、死を想う態度はすぐにできあがるといったものではない。誰しも考えたくないことは無意識のうちに考えないようにする、心理的な抑圧が働くからである。だからこそ、死のように恐ろしい出来事を、日常的に考える習慣を身につけよとエピクテトスは説いているのだ。

『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』(ダイヤモンド社)より抜粋