年収は3分の1以下に急落

能作:鋳物職人の仕事は、「薄給」でした。

――薄給というとどのくらい?

能作:肩書きこそ「専務」と立派でしたが、月給は13万円。
 手取りで月9万円そこそこ、年収は約150万円でした。
 大手新聞社の報道カメラマン時代の年収は、入社3年目で約500万円でしたから、当時の「3分の1以下」です。

――ええ! そんなに下がったのですか!

能作:はい。鋳物職人の仕事は、過酷でした。
 鋳物砂(いものずな)が焼けるにおいは独特です。
 流し込む前の溶けた金属はとても熱く、溶解した真鍮(しんちゅう)は1200度を超えます。砂と汗で、四六時中、体はベトベトです。

――それは過酷だ。私では絶対に続かない(笑)。