1年で30キロ減、4リットルも下血!
能作:細かい砂を使うため、空調を使うわけにはいきません。
ですから、夏はTシャツを何枚も着替える蒸し暑さです(一方、冬はとても寒い)。
過酷な現場に身を置き、1年間で体重が30キロも減るハードワークを経験しました。
――1年で30キロも! 異常な状態ですよ。大丈夫でしたか。
能作:鋳物職人として、朝早くから夜遅くまで、がむしゃらに働く毎日。人手が足りないので土日もない。昼食は5分で手早くすませ、すぐに作業に戻りました。
過労から下血が止まらなくなり、それでも無理を重ねていたら、突然、トイレの中で気を失いかけたことがあります。
でも、「こんなところで死んだら、恥ずかしい。あかん、あかん」と、なんとか正気を保ったものの、瀕死の状態で病院に運ばれ、緊急輸血。僕の体重から計算すると、血液量は「8リットル」が正常なのに、体の中には、その半分の4リットルしか残っていなかったのです。
――4リットル? すごい量ですね。今、元気そうなのが信じられないです!笑
能作:僕もそう思います(笑)。
医師から、
「全血液量の3分の1以上が失われると、非常に危険。ショック死してもおかしくない」
と宣告され、3週間の入院を余儀なくされました。
――なかなか体験できない稀有なエピソードですよ。
能作:そうかもしれませんね。退院後、僕はこれまで以上に鋳物づくりに精を出しました。
高岡の鋳物業界は、不景気による廃業が相次いでいて、能作の経営も火の車。会社の実情に不満を抱き、去っていく職人もいました。
働いて、働いて、働いて、働き続けなければ、売上は上がらない。
鋳物をつくって、つくって、つくり続けなければ、他の鋳物工場と同じように廃業に追い込まれてしまう……。
僕に、体をいたわる余裕はありませんでした。
――過酷な日々ですね。では続きは次回。また聞かせてください。
能作:はい、わかりました。富山の本社の雰囲気を少しでも知りたい方は、第1回連載もご覧いただけたらと思います。