たとえば、野球やサッカーのチームに子どもを入れたら、父親はコーチとして、母親はお茶当番として駆り出される。なかには、他の親と揉めたので、子どもにチームから抜けるよう言いたいが、子どもは練習や試合に行くのを楽しみにしているので、どうしたらいいのかと悩み、眠れなくなったと訴えて私の外来を受診した女性もいる。

 さらに、コストをかけて出産や子育てをしている女性も少なくない。たとえば、莫大な時間とお金をかけて不妊治療を受け、ようやく子どもを授かったというケースが最近増えている。また、なかには出産によって仕事を辞めた女性もいるだろう。そういう女性は、キャリアを諦めるという大きな犠牲を払って子どもを育てていることを多かれ少なかれ意識しているはずだ。

 このような場合、「あれだけ時間とお金をかけ、さまざまなものを犠牲にして産み、育てた子どもなのだから、多少は思い通りに支配させてもらっても罰は当たらないだろう」と考えても不思議ではない。

 もちろん、親が子どもに注ぐ愛情の理想的な形は、「無償の愛」である。しかし、これは実は幻想にすぎないのではないかと私は思う。「無償の愛」というのは、「我欲も打算も入り交じっていない純粋な愛情を子どもに注げる親がいたらいいのに」という願望を投影した言葉であり、実際には我欲や打算が入り交じった愛情しか抱けない親が多い現実の裏返しのようにも見える。

 コストをかけた分、きちんと返してほしいという願望が全然ない親はいないはずだ。だから、見返りを求める心理が知らず知らずのうちに働くわけで、それが親の支配欲求を強める一因になっているのではないだろうか。