「We can」と「We should」の判断
技術の進歩が進むほど、
人間は常に
「We can」と「We should」の
判断を迫られる。
人間とはどんな生き物で、どんな社会を望んでいるのかという根源的な問題をみんなが考えることが一番のカギになるのではないでしょうか。
よく「AIが進化すると、将来どんな社会になるのでしょうか?」という質問をあちらこちらで受けるのですが、正直、僕にはわかりません。
なぜかといえば、みなさんがそのときどう行動するのか。そのときみなさんが技術の進歩に対してどういう態度をとるかが僕にはわからないからです。
つまり、将来の世界は、みなさんがつくっていくので、未来世界について論じるためには、みなさんがどんな社会をつくりたいかというイメージを描いていることが何よりも大切です。
我々が行動していくことでしか未来は変わらない。
第三者的に、「どんな社会になるのか?」と聞くこと自体、あまり意味を持たないのです。
むしろ、あなたはどんな社会をつくりたいのですか。
そのためにAIをどう使いたいのですかと問いたい。
人間の希望ややりたいことの集積の上に初めて未来が築かれるのですから。
人間の脳みそは今から1万2000年前にメソポタミア地方で起きたといわれる「ドメスティケーション」以降、進化していないようです。
これは現在の脳科学者の世界の共通見解になっています。
だから初めて定住を始めたドメスティケーション時代のホモ・サピエンスと現代の我々は、喜怒哀楽も、判断力もほぼ一緒なのかもしれません。