その後は、1日のうちに業務時間内と閉庁後の2回にわたって電話がかかってきたこともあったという。なお、「しょっちゅう長電話になる方がいる」という嘆きはケースワーカーの愚痴の定番の1つだが、通常は30分を超えると「長電話」だ。

 H氏からの電話は、当初は世間話やスマホの使い方に関する内容だったという。そこに、生活保護に関する不当要求が交じり始めた。「転居したいので、家主に追い出されたことにして転居費用を出してほしい」「今かけているメガネは壊れていないけど、新しくつくりたい」といった内容だ。

 あるときH氏は、スーパーで買い物をし、Y氏に電話をかけて「公用車で荷物を運べ」と要求した。Y氏が当然のこととして断ると、H氏はY氏を激しく罵倒し、「お前が怒ったからメガネが壊れた。保護費で新しくつくれ」と要求をエスカレートさせたという。

元暴力団員の洗脳スキル
翻弄されながらも必死の抵抗

 筆者は、H氏が暴力団員として培ってきた対人関係スキルに驚嘆した。無害な内容と問題ある内容をランダムに織り交ぜ、相手の警戒心を解きつつ混乱させることは、洗脳の手法として知られている。

 また、スーパーからの荷物運びに関しては、当初は「生活保護受給者の買い物を公用車で運ぶ」という制度の想定外の要求をし、断られると「メガネが壊れたので保護費で新規給付」という制度内の要求へとエスカレートさせている。制度内の要求を断らせて“貸し”をつくり、想定外の要求を呑ませる作戦と推察される。

 Y氏は一貫して、「公務員として、自分はどう行動すべきか」を考え続けていたという。6月1日、H氏の殺人事件が発生するまでは、不当な要求に対して毅然と対応することを心がけていた。しかし毎回、「気分を害したH氏が、要求をエスカレートさせ、部分的に応じざるを得なくなる」というパターンが繰り返された。H氏が一応の満足を示すまで、半日かかったこともあるという。

 Y氏はこれらの出来事を、可能な限りケース記録に残していた。また、生活保護の査察指導員でもある上司に対し、口頭で報告もしていたという。しかし上司の対応は、「今回は仕方がない」「四角四面でもしょうがない」「もっとへりくだった断り方を」といった“指導“に終始していたという。