Wiiが発売され、その価値観が広く知られるようになっている今となってみれば、これらの判断は極めて当たり前で、むしろ保守的な思考のように思えなくもありません。
しかし、想像してみてください。
それまでの どんなゲーム機の名前と似ても似つかない不思議な響きの名前「Wii」を採用するときの底知れない不安を。
Wiiリモコンという新名称によって、これまでゲーム機が市場に現れてから延々と続いてきた「コントローラー」という操作部の呼称を捨てる恐ろしさを。
リビングの中に溶け込もうとするがゆえに、その存在感すら消え入りそうな本体を想像するときの、心細さを。
どんなに立派なコンセプトだろうと、ユーザーに「ゲーム人口の拡大!」とコンセプトを叫んだところで、誰も見向きはしてくれないでしょう。
ユーザーはひたすら「良いもの」のみを求めていますし、何しろ対価を払っているのですから、売る側からのお願いを聞く義理すらないのです。
ものづくりの側の人間は、世界を良くする方法を実現したい、コンセプト通りに世界を変えたい、ユーザーに影響を与えたいと望んでいます。
しかし、ユーザーにメッセージを伝えたいけれど、コンセプトそのものを声 高に叫ぶことで伝えることはできません。
となると、ユーザーにこちら側のメッセージを伝えるには、仕様にコンセプトと想いのすべてを乗せることしか方法はないのです。