つまり、2030年の原子力発電15%以下を当面の合意として議論を続けるのである。政府はそのことを毅然として国民に訴えるべきである。仮に、政府関係者の頭の中にこうした落としどころがあった上で、国民を巻き込んだ議論を行っているとしたら、国民と正対していないという意味で、原子力ムラと同じような問題をはらむ。

 国民を巻き込んだ議論とは、日常的な情報のやり取りや議論への参加促進、そのための中立的な場の形成によって達成されるべきである。事が起こってから議論の場を形成したのでは、官民双方が十分な情報や検討を得ることなく極端な意見に振り回されるリスクがある。社会基盤であるエネルギーシステムに関する選択は、こうした常態的な国民の参加、および事が起こった場合の政府の毅然とした選択肢の提示と判断によって担保されなくてはいけない。その意味で言えば、前者の視点を著しく欠いてきた日本においては、現在のような議論による結論出しを急ぐべきではない。

需要サイドのあり方にも変化
国民主導のエネルギーシステムへ

 エネルギーシステムがいかにあるべきは、国民の選択に依らなければならない。その際に重要となるのは、国民のエネルギーへの関わり方が変わってきているということである。

 エネルギーは需要があってこそ、どのように供給すべきかを考えることが必要になる。東日本大震災以来、東京電力管内では、2012年7月段階で、柏崎と福島の原発が全く稼働しない状況でも、深刻な電力不足には陥っていない。電力会社側での火力発電の復帰等に関する渾身の努力によるところも大きいが、需要家側での節電力や省エネルギーサービス等の導入の貢献も相当にある。

 一方、スマートハウスのような自家発電機能へのニーズは、一過性のものとは思えない根強さがある。将来は多くの家庭で、エネルギーの多くを自己調達するようになっても不思議はない。今までのように電力の供給者と需要家の間に明確な線引きはできなくなっているのだ。また、日本総合研究所では、2030年の電力需要は自然と2010年対比10~15%減るとの予測を提示している。