今回は、欽ちゃんと次郎さんがどう出会って、コント55号が生まれたのか、そんな話。欽ちゃんを誘うために二郎さんが考えた方法も「マヌケ」だったけど、それにまんまとのっちゃった欽ちゃんも「マヌケ」だったねというお話です。
この連載は、「マヌケ」という言葉は、「バカ」と混同されがちだけど、「マヌケ」という言葉を使っていたら人間関係も仕事関係も良くなっていくし、マヌケであればあるほど運はたまっていくよ!
そんな、欽ちゃんのあったかい言葉が詰まった本『マヌケのすすめ』から、とくに心に響く部分を抜粋して、萩本欽一さんの言葉を紹介していきます。(撮影/榊智朗)
劇場の支配人に「どうも二郎さんが好きじゃない」
って言いましたからね。
また組まされたら困るから。
コンビになる前も、坂上二郎さんとは何度か舞台でいっしょになったことがあったの。
やりづらくってさあ。
突っ込みがしつこい。
相手のことおかまいなしで、どんどんギャグをぶっ放してくる。
いっしょに出てた最後の日だったかな、劇場の支配人に「どうも二郎さんが好きじゃない」って言いましたからね。
また組まされたら困るから。
地方の仕事から帰ってきて珍しく家にいたときに、二郎さんから突然電話がかかってきた。
「欽ちゃん、麻雀しにこない?」って。
ぼくも麻雀は好きだから、まあ行ってみようかなって。
たぶん、いっしょに仕事したときに、二郎さんのこと嫌ってるって態度も出てたと思うんだけど、でも誘ってきた。
なんでだろうって興味もあったのね。
そのとき二郎さんは、ぼくに「コンビ組もうよ」って話をしたかったわけだけど、そうは 言わない。
ぼくもいきなりその話だったら、きっと断ってたと思う。
「折り入って話があるんだけど」と言われたとしても、たぶん行かなかっただろうな。
二郎さんもぼくとは違うタイプのマヌケだから、言いたいことを言い出せなくて、ぼくが 麻雀が好きだって知っているから麻雀に誘った。
ぼくはぼくで、まんまと策に乗っちゃった。
マヌケは深く考えないからね。
これもあとから「なんでぼくだったの?」って二郎さんに聞いたんだけど、「あんなに笑いにしつこいのは、欽ちゃんが初めてだった」って。
「えっ、しつこいのは二郎さんでしょ!」って思ったんだけどね。
でも、芸がしつこいっていうのは悪いことじゃない。
お互いのマヌケの意地みたいなのがぶつかりあって、何かが生まれたのかもね。
そのときはぼくが25歳だったから、二郎さんは32歳かな。
あんまり仕事がなくてキャバレーの司会とかやってた。
ずっとあとになって奥さんが言ってたけど、「生まれた子どものためにも生活をちゃんとしなきゃいけない。
だけど、最後にもう一回だけ勝負させてくれないか」って頼まれたんだって。
それで考えたのが、ぼくとやることだった。
それでまあ、コンビでやりたいって話をされたわけです。
ぼくのほうは「うーん、いっしょに舞台に出るのはいいけど、コンビってことじゃなくてもいいんじゃないの」なんて言ってたんだけど、マヌケだから自分の態度をはっきり示すことができない。
何回かやっているうちに、お客のウケがよかったこともあって、コンビってことになっちゃった。
(本原稿は、萩本欽一著『マヌケのすすめ』からの抜粋です)
*撮影協力/駒澤大学