校則とパワハラ問題

 スコットランドの男性はときどきスカートを履いています。
 女性でもズボンが好きな子どもがいるかもしれない。
 だから僕は、

「なぜ、男はズボン、女はスカートと
 決めつけるんですか?」
 なぜ、子どもたちに選ばせないんですか?
 そういうことを先生方ができなくて、
 どうして子どもたちに“探求力”を教えることができますか?」

 と話したのです。

 その高校の先生から、

「出口先生、ほかに探求力を鍛える方法はありませんか?」

 といわれたので、こう答えました。

「どんな学校でも校則がありますよね。
 校則を一条一条、もう一回読み返してください。
 子どもたちから『なぜ、こんな校則があるんですか?』と質問されたときに、『こういう理由で君らのためになるから』と論駁(ろんばく)できない校則はパワハラですよね。
 そんなものはすぐやめてください。
 それぐらいのことができなくて、どうして子どもたちに探求力、問いを立てる力、常識を疑う力が大切だと教えられるんですか」と。

 子どもたちは、常に先生を見ています。
 先生がロールモデルですから、先生側に問いを立てる力がなかったら、そんなものを教えられるはずがありません。

 日本では、最近の若者はだらしがないという意見を持つ年配の男性が多い。
 でも、僕はまったく違った意見を持っています。

 若者は大人をマネして育つ。
 若者は大人を写す鏡なので、若者がだらしがないのは、大人がだらしがないからなのです。

 若者は本を読まない。
 なぜか?
 大人が本を読まないからですよね。
 だから、教育とは何ぞやと問えば、人が賢くなるには「人・本・旅」しかないと思うのです。

 いろいろな人に会って学び、たくさん本を読み、いろいろな場所に旅するしかない。

 特に義務教育期間は、主に生徒が先生を見て学んでいくわけですから、先生自身が率先して探求力を持たなければ、探求力を教えること自体が絵に描いた餅になってしまいます。

 だから、ITやAIといった技術進歩が速くなればなるほど、逆説的な意味で、考える時間、探求力、問いを立てる力、常識を疑う力、ロジカルシンキングが大切になってくる。これは世界共通です。

 OECD(経済協力開発機構)が考えている、これからの教育の考え方は、実は文科省の新・指導要領と骨格はほぼ同じ。探求力、すなわち問いを立てる力、常識を疑う力がすごく大切だということです。

 続きは次回にしましょう。

 過去の僕の『哲学と宗教全史』全連載は「連載バックナンバー」にありますので、ぜひご覧いただき、楽しんでいただけたらと思います。