40歳を目前に会社を辞め、一生懸命生きることをやめた著者のエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』が売れに売れている。韓国では25万部のベストセラーとなり、今年1月には邦訳版が刊行。こちらもすでに4.5万部突破と絶好調だ。
日本でも「心が軽くなった」「共感だらけの内容」と共感・絶賛の声が相次いでおり、日本版の帯にも有安杏果さんから「人生に悩み、疲れたときに立ち止まる勇気と自分らしく生きるための後押しをもらえた」と推薦コメントが寄せられている。
多くの方から共感・絶賛を集める本書の内容とは、果たしていったいどのようなものなのか? 今回は、本書の邦訳版から抜粋するかたちで、気楽に生きるための考え方について触れた項目の一部を紹介していく。
世界一難しい答えのない「なぞなぞ」=人生
よく人生は「なぞなぞ」にたとえられたりする。目の前に突き付けられた、わかるようでわからない問題を解こうとする点では、確かに似ている。
誰もが正解を求めて苦労し、考えれば考えるほど迷宮にハマッていくのも、なぞなぞのひっかけ問題みたいだ。
しかも、その答えが正しいか否かも確認させてもらえない。ただ自分で答えを探し続けるだけ。
う~ん、こんな難しいなぞなぞってある?
誰かが、ついに答えがわかったと言う。僕も、そう感じたことがあった。
しかし結局、解決には至らない。これが答えだと思っても、そのうち「あれ、違ってたかな?」という疑心が湧く。
そもそも、本当に正解があるなら、こんなに多くの人が自分の人生を抱えて右往左往しないはずだ。このなぞなぞの出題者は、はなから正解など用意していないようだ。それでも僕らは、このなぞなぞを解こうとチャレンジし続ける。
では一体、どうして答えのない問題に挑み続けるのか?
それはきっと、楽しいからに違いない。なぞなぞの本質は楽しさにある。
そうだ。本来、楽しむことが目的のなぞなぞに、僕らはあまりにも死に物狂いで挑んでいるのではないか?
答えを探すことにだけ集中し、問題を解く楽しさを忘れてはいないだろうか?
なぞなぞは必ずしも正解しなくていい。間違えても楽しいのだ。しかも、このなぞなぞにはどうせ正解なんてない。
(本原稿は、ハ・ワン著、岡崎暢子訳『あやうく一生懸命生きるところだった』からの抜粋です)
イラストレーター、作家。1ウォンでも多く稼ぎたいと、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたある日、「こんなに一生懸命生きているのに、自分の人生はなんでこうも冴えないんだ」と、やりきれない気持ちが限界に達し、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。フリーのイラストレーターとなったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。特技は、何かと言い訳をつけて仕事を断ること、貯金の食い潰し、昼ビール堪能など。書籍へのイラスト提供や、自作の絵本も1冊あるが、詳細は公表していない。自身初のエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』が韓国で25万部のベストセラーに。