USJ復活の立役者として知られる森岡毅氏が2017年に始動した「株式会社 刀」の動きが、このところ活発になっている。
同社の取り組みは、丸亀製麺やネスタリゾート神戸(旧グリーンピア三木)の再建、農林中金バリューインベストメンツとの協業やUSJ時代に頓挫した沖縄テーマパークへの挑戦などが発表されていたが、さらに2020年に入り、西武園ゆうえんちのリニューアルやセガサミーと組んだ横浜IRへの取り組みも発表され、その勢いは止まるところを知らない。
ダイヤモンド社より刊行された『苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」』もベストセラーとなっている刀CEO・森岡毅氏に、刀の2年間を振り返ってもらい、未来への展望を聞いた。(取材/ダイヤモンド社・亀井史夫)

何億円で会社に雇われることに
何の魅力も感じなかった

――USJを辞められたときは、いろんな会社からオファーがあったと思うんですけど、最初から起業しようと思っていたのですか?

森岡 大きな会社、有名な経営者の皆さんから右腕になってくれとか、後継者になってくれとか、本当にありがたいオファーをたくさんいただきました。でも会社に何億円で雇われるということに、何の魅力も感じなかったんですよ。

報酬金額に興味がある人なら行くんでしょう。でも私はお金がほしいのではなくて、挑戦がほしいんです。サラリーマンを継続することに対して、スパッと諦めがついたのが、やはりUSJのグレン・ガンペル社長との出会いでしたね。USJでは、グレン・ガンペルとゴールドマン・サックスがどんな座組を作って、どういうふうに構想を練って、どういうふうに私をうまく使ったのかを目の当たりにしました。投資家というものが、どういう存在なのか。彼らは脳からは汗をかいて、物理的な汗はほとんどかかずに、数百億円で買ったUSJを兆を超える価値にしてEXITした。投資ってこういうことなんだ、すげぇなと。

脳からも身体からも猛烈に発汗してきた私は思うところもありましたが、よくよく考えたら、ゴールドマンが投資してくれたから、USJは蘇るチャンスがあったんです。ハリー・ポッターの資金調達もゴールドマンがやってくれました。ということは、投資にはすごい価値があるなと思ったんですね。

というわけで、これからの自分の挑戦としては、サラリーマンはもう卒業だと思った。大会社の組織の中で輝くということも、もはや魅力を感じなくなった。自分の頭の中にあるもので、ゼロから勝負して1を生み出してみたくなった。

そして考えてみたのです。凄まじいマーケティング力を持った上で、投資能力も備えている、そんな会社が世界にあるんだろうか? そう思って調べてみたら、やはりどこにも見つからないんですよ。

――刀の事業プランはいつ頃から練っていたんですか?

森岡 正確なところを申し上げると、私がUSJに『使命完了なのでそろそろ辞めます』と最初に言ったのは、2015年の10月。それはメモリアルな月で、私をUSJに引っ張ってくれたグレン・ガンペルの最後の月だったんですね。彼は11月13日に退任して日本から旅立っていったのですが、最後の最後の10月に、集客においてUSJはTDLとTDSに勝ったんですよ。彼の12年間の戦いの最後の最後に、彼を集客数日本一のテーマパークの社長にすることをプレゼントできた。そのときにグレンに、あなたが退任してから遠からず私も辞めようと思うという話をしました。

そうしたら、自分がいなくなって君がすぐにいなくなったら、この会社は司令塔がいなくなる。新しい株主が入って来て、新しい社長が来るので、いままでの良いところをなんとか引きつなぐ、その準備が整うまで頑張ってくれないか、という話がありました。

そこからの1年は、私がいなくても機能する組織にすることに腐心しました。私が最後に組織に遺さなければならなかったのは、私がいなくても自分たちでやっていけるという自信だったんですよ。彼らの判断でちゃんとうまくいくんだという成功体験を積ませるために、最後の1年間を使ったわけですね。それは何でも自分で判断するよりも時間のかかることでしたので、辞めた後の新しい展開をどうこうしようと細かく考える時間は2016年の内にはありませんでした。

ただし、マーケティングを日本に広めるための「構造」をつくれないかという思いは明確に持っていました。起業して会社をつくりたいという構想は、辞めることを発表したクリスマスぐらいには持っていたんですよ。でも、どういう目的と戦略でやるんだとか、誰とやろうかみたいなことをUSJを退社してから真剣に考えて、実際に考えがまとまったのは2017年の桜が咲く頃ですね。最初私と一緒に動いてくれたのが、私を入れて6名。その直後に加わってくれたのが6名、これが刀の創業12名の戦士です。

大切な仲間たちに文字通り人生を懸けてもらうわけで、私の中にいままでにない責任感が走りました。そのときに初めて、起業する私は太っていたらダメだと思ったんです。そこから私は4ヵ月間のダイエットをして、40キロ削ったんですね。起業して最初にやったのは健康リスクを減らすためのダイエットです(笑)。そんなこんなで一緒に冒険したいという仲間たちが集まり、刀としてちゃんと動き始めたのが2017年の夏くらいです。