刀の分岐点になった
「重大な決断」
――2年間やってきて、一番大変だったことは何ですか?
森岡 やはり最初の半年間が大変でしたね。どんどんキャッシュアウトしていくわけです。だいたい計算して、1年以内にちゃんと事業計画が軌道に乗る自信はあったんですけどね。こういうことをやり始めたという認知がだんだん広がっていって、そこからクライアント候補の会社の中で皆さんご相談されて、御連絡があるまでの、この重いタイムラグ。そして、そこから交渉が始まって決まるまでには、やはり半年ぐらいかかるわけです。
また、私の天の邪鬼なところなんですけど、はい、わかりました、やりますとは言わない。本当に我々が携わって、結果が出せそうかということを厳選しないと、お互い不幸になりますからね。刀としては、とりあえず売上が必要だから契約したいっていう衝動に駆られながらも、深慮遠謀でいくつもの案件をお断りしました。このときに、チームの中に緊張が走りましたね。
逆のケースもあります。ある企業とは、握手して、やることが決まっていたんですよ。プランも考え始めていた。そうしたら、ある日、その社長が会いたいと言ってきて、ここまでにしてほしい、と。どういうことですか? と聞いたら、これこれこういう事情で、森岡さんたちには大変お世話になって申し訳ないんですが、と言って、1000万円の謝礼を提示されました。いままでいろいろアドバイスをいただいて、ここまですごく労力もかけていただいたので、これは皆さんに対する気持ちだと思ってください、と。本当に、ハトが豆鉄砲を喰らった感じでした。
10秒ぐらい、私は何も言えなかったんです。そのときに私の頭の中には、大切な仲間たちからの「森岡さん、コピー機買ってください!」という声が突然響き出しました。A3のプリントアウトが、外でやると異様に時間がかかって相手先の会議に遅れそうになる、しかもすごく高い、と。資本金数百万円で始めた小さなスタートアップなので、経費の優先順位から最初は自前のコピー機もなかったんですよ。オフィスすらもなかった。仲間のマンションの貸しゲストルームを1回2500円で借りてミーティングしてたんですよ。私のオフィスは喫茶店でした。一杯の紅茶で朝から長時間粘り、お昼に頼むダイエット用のサラダを楽しみにしながら、思考は刀100年の大計を練りに練っていました。その喫茶店で1000万円のお金をお支払いすると言われたわけです。
そのときに私は、お断りしたんですね。「いやいや、これ、意味わかりません。私は対等のパートナーだと思ってやってきました。我々がなぜ、このお金をもらうんですか」と。「これをいただいたら、もう刀が刀ではなくなります。ここから道をご一緒できないのは御社のご判断なので、残念に思いますけど、尊重します。でもこれを受け取ってしまうと、我々はこの段階までで、皆さんに業者として使われてたということになってしまう。そうではない、あくまでも対等なパートナーとして、最高のものを消費者目線でつくるというビジョンに我々は同意して、対等な気持ちでやってきたつもりです。したがって、これをもらう理由がありません」と言って、丁重に突っ返して帰ってきた。そうしたら、まあ、怒られた、みんなに(笑)。
それ以外にも、この需要予測をいくらでやってくれとか、このプロジェクトをいくらでやってくれとか、単発の依頼はたくさんありました。それらも全部断っていたんです。
大間のマグロ漁師が、マグロが釣れないからって、ブリを釣りだしたら、もうマグロ漁師ではないんですよ。たしかに、それでも世の中に貢献できます。でも、ブリとかハマチを釣るために、我々は漁師になったんじゃない。本当に世の中に対して、エポックメーキングになる、その成功が誰かの勇気につながる、地方創生につながる、未来の日本の何か大きな意味につながる、大きなプロジェクトに集中したい。
ただ単に食っていくために、我々はやっているのではないと。食べていくだけだったら、USJにいたらよかったじゃないですか。我々は、日本の変革の起点になるために刀をつくったんだと。だから我々は、単発の小さなプロジェクトを追わない。我々が全身全霊で関わる、会社の方向性全体に対して影響が与えられるプロジェクト以外は絶対にやらないんだということを言い続けたんです。
私は二つの想いに引き裂かれそうでした。1つは、我々の求めるマグロ級契約の発生確率はポアソン分布しており、ある一定期間のうちに必ず得られるという自分の計算を信じたい想い。もう1つは、給料も払えないのにそれでも私を信じて猛烈に働き続けてくれる、この大切な仲間たちに報いることができずに終わったらどうしようというとてつもない恐怖。私は内心では焦りながらも、それでも何とかブレずに大型契約のみにリソースを集中させ、初心を貫徹することができました。
――協業するプロジェクトはどんな基準で決められているのですか?
森岡 三つクライテリアがあります。一つは、日本を元気にできるかという、大義、意味。そのプロジェクトが生み出す価値の大きさですね。
もう一つは、我々が強みとしてるところが、その価値創造に活きるか。エンジニアリングそのものの解決策を生み出すことを期待されても、それは難しいですよね。我々はやはりマーケティングで、BtoCに一番の強みがあるので。そこが活きるかですね。
最後は、結果が出たときに、ちゃんと貢献に見合うフェアな対価がいただけるかということ。これは経営者として私が考えないといけないことで。この三つで見ています。
その結果を出すために、必要な手術というのがある。たとえば組織をいじらないといけない会社もあれば、営業体制を組み替えないといけないこともあれば、ブランドの方針を右から左に転換しないといけないところもあります。
そういう変革は、痛みを伴うし、すごいストレスになるのですが、それを実行できる会社かどうか、実は冷静に見てます。
ありがたいのは、ブレない私の姿勢に、森岡さんだから仕方ないなときっと内心呆れられながらも、みんなが必死になって結果を出してくれたことです。だから今日がある。株を分けていてよかったなって思います。いま生み出した価値は、本当にみんなでつくったものだからです。やはり、売上が立ってないのに突っ張るというのは、すごくしんどかった。あの1000万円を断ってからも、実は何度かその場面の夢をみました(笑)。
でもやはり、あそこでブレなかったのは、いま考えても正しかった。あのときブレていたら、横浜のIRの話とか、トリドールさん(丸亀製麺)の案件とかを、追えなかったと思うんですよ。