かつて世界ヘビー級統一王座に君臨し、ボクシング史上「最も記憶に残る」存在であるマイク・タイソン。彼は栄光と転落を繰り返し、リング上だけでなく、私生活においても暴力、薬物、女性問題などで数々のセンセーションを巻き起こしてきました。そんなタイソンの規格外の仰天エピソードを彼の著書『真相:マイク・タイソン自伝』からお届けします。今回は、ヒップホップ界のカリスマ、トゥパック(2PAC)との悲しき友情について紹介します。
親友トゥパックとの
衝撃的な出会いと別れ
レイプ疑惑で有罪判決を受けたマイク・タイソンの元からは、疫病を避けるかのごとく多くの人間が去っていった。そんな失意の中、一人の大物ラッパーがタイソンに会うために刑務所を訪ねてくる。彼の名はトゥパック・シャクール。2PACの名でヒップホップ界のみならず、アメリカ社会に大きな影響を与えた革命児である。実は以前に2人は運命的な出会いを果たしていた。刑務所への慰問以来、タイソンとトゥパックの間には真の友情が芽生えるのだが──。
[以下『真相:マイク・タイソン自伝』より]
2PACことトゥパック・シャクールが刑務所に来てくれたときのことは、絶対に忘れない。有名人の友人は大勢いるが、ほかの誰よりたくさん、トゥパックのことを訊かれた。世界のあちこちでいろんな人間に会うが、みんなボクシングの話の前にかならず「トゥパックはどんなやつだった?」と訊いてくる。
トゥパックはすごいやつだった。ヒューイ・ニュートンであり、毛沢東であり、カール・マルクスであり、もうとにかく超越したやつだった。俺もマルクスやヘーゲルの言葉を引用できるが、トゥパックに革命理論を語らせると、本当にとめどがない。話をして、懇意になってみると、悪党なんかじゃなく、むしろ善悪を論じる道徳家だった。人を魅了する心の持ち主だった。
初めて会ったのは1990年、ロサンジェルスのサンセット大通りにあるクラブで開かれた、業界のパーティの席上だ。パーティの主催者は俺の友人で、みんなこの催しのために粋な身なりをしていたが、小柄な黒人のストリートキッズがドアの近くでくすぶっているのが見えた。
「どうした、ちび? 調子はどうだ?」俺はその小僧に声をかけた。昔、クラブに入れなくて店の前でうろうろしていた自分を思い出したからだ。
「べつに。あんたはどうだい?」と、そいつは返した。
パーティに入りたいのがわかったから、口を利いてやった。ところが、小僧は「ちょっと待って」と言い、駆け出して、仲間を50人連れて戻ってきた。その中の1人がトゥパックだった。
全員裏口へ連れていって、そこから入れてやった。俺はそのまま外でしばらく話をしていたんだが、中へ戻ると、小僧の1人がマイクを手にステージに上がって、パーティを盛り上げているじゃないか。信じられなかった。ステージを下りたそいつと抱きあって、いっしょに高笑いした。そいつが美しい笑顔を浮かべるとクラブじゅうが揺れた。いつか特別な人間になるだろう予感がした。
話を刑務所に戻そう。トゥパックの母親から手紙が来たんだ。トゥパックは有名人だったから名前くらい知っていたが、1990年にあのクラブを揺らした小僧だとは知らなかった。手紙にはトゥパックがショーに出演するためインディアナポリスに行く、俺に会いたいと言っているとだけ書かれていた。
彼が面会室に入ってくるなり、大変な騒ぎになった。あいつの体重はたぶん60キロに満たなかったが、実際よりずっと大きく見えた。黒人も、白人も、ヒスパニックも、火星人も、みんな熱狂している。刑務官たちまで喝采を送っていた。あいつがそこまで有名なんて全然知らなかった。その姿を見て、何年か前にロサンジェルスのパーティに入れてやった小僧だと思い出した。
2人で中庭のピクニックテーブルへ行って話し込んだ。
「あんたのためにここでコンサートを開かなくちゃな」とあいつは言い、テーブルの上に飛び上がった。そして「愛してるぜ!」と叫んだ。
俺はテーブルの前に座ったまま、「下りてくれ、頼むから。下りてくれ。俺といっしょに閉じ込められちまうぞ」と懇願した。
あいつは即興コンサートをやる気だったが、俺は心配になってきた。すべて平穏無事にいっていたのに、とつぜんトゥパックがテーブルに上がって、みんなが喝采を送っている。
おお、なんてこった、面倒なことになっちまう。
「マイク、自由になれ、ブラザー、自由になれ!」
ようやくあいつをテーブルから下ろした。俺は説教を始めた。イスラム教徒になったばかりで、高潔の男を演じていたんだ。
「お前、豚肉食うのはやめたほうがいいな」と、俺は言った。
「なんで俺が豚肉を食うってわかるんだ?」
からかっていただけなんだが、あいつは真顔で言った。
あいつが落ち着くと、話を始めた。初めて会ったときのことは絶対に忘れないと、あいつは言う。
「あのときのことを忘れたことはない。ストリートキッズの群れをあんなすてきなクラブに入れてくれたんだ。あんたは自分の心に正直だった」
「いや、いや、そいつはおかしいぜ、兄弟(ブラザー)」と、俺は言った。「俺たちみんなにこの世を楽しむ権利はあるんだ。どうってことはない、同じ人間じゃないか」
トゥパックは不動の心の持ち主だった。おびただしい痛みと困難を見てきたからだ。ときに俺たちが体験するつらい思いは、心に傷をつけて重荷を背負わせ、どこへ行くにもその重荷がついてくる。宗教にも、恋愛にも、戦いにもついてくる。たとえどれだけ成功しようとも。トゥパックは刑務所で生まれ、母親の友人たちが殺されたり終身刑を食らって投獄されたりするところを見てきた。まわりは誰も耳を貸してくれず、気にもかけてくれない。だから周囲を気にせず、信じるままに突き進み、自分にできる最善を尽くした。トゥパックこそ自由の闘士だった。
トゥパックとよくブラックパンサー党の話をした。あいつの母親があそこに関わっているのを、俺は知っていた。彼女は強い女だった。闘争に関する書物をいろいろ読んだおかげで、このころの俺はかなり急進的になっていた。
俺たちは急速に親しくなり、トゥパックは何度か訪ねてきてくれた。警官を撃ったり人と喧嘩をして新聞沙汰になったという話もよく聞いた。
「おい、気をつけないと、今度は俺が面会に行くことになるぞ」
その後、あいつは銃撃を受けたり、刑務所に収監されたりした。俺は外の友人と段取りをつけて、トゥパックとの三者間通話を打ち立てた。俺の友人に撃たれたとあいつは言ったが、事実かどうかはわからない。
***
トゥパックは奴隷の遺産、ストリートの黒人の凄惨な暮らしをギャングスタ・ラップにのせて歌い上げた。その力強さに、多くの黒人が敬意をいだいていた。なぜ俺たちは怒るべきなのかを、あいつは教えてくれたんだ。
その日[トゥパックが観戦したタイソンとブルース・セルドンの試合日]の夜、俺はデス・ロウ・レコードのオーナー、シュグ・ナイトが経営する〈クラブ662〉でトゥパックに会う予定だった。だがセルドン戦後の疲れもあり、家に帰って娘のレイナといっしょに過ごしたくなって、2~3杯飲んだら寝ちまった。誰かに起こされた。
「マイク、トゥパックが撃たれた!」
信じられなかった。シュグの運転する車に乗っていて交差点で停止したら、隣の車に乗っていたやつが発砲してきたという。仕組まれた罠だったにちがいない。トゥパックは試合のあとカジノにいたギャングと口論になって、相手の顔を踏みつけていたからだ。そんな状況のあとならあいつの五感は厳戒態勢に入っていたはずだ。試合が終わってリングを下りたとき、俺の五感は研ぎ澄まされていた。観衆の中のあらゆるものが見え、あらゆるにおいが嗅ぎ分けられ、あらゆる音が聞こえた。ギャングともめたあとのトゥパックもそんな感じだっただろう。だから、あれは暗殺だったにちがいない。
ケンカ馴れした下町の男にしては危機管理が甘かったんじゃないか。トゥパックみたいなやつは取り巻きが40人くらいいて守ってくれるのがふつうだ。路上でまわりを遮断してくれる車がなかったのか? トゥパックが彼らの将軍で、ギャングと一戦交えたばかりだったら、まわりに盾を置くべきだった。その盾はなかったのか? まったく厭わしい夜だった。トゥパックはまだ25歳だったが、固い決意と意志を備えていた。どこであんな資質を得たんだろう? 寛大な心の持ち主で、思いやり深い男でありながら、それでもなお戦士だった。きれいな心の持ち主で、あいつと過ごす時間が楽しくてしかたなかった。
(終わり)