拉致被害者を北朝鮮に戻さない決断は
周到な準備があって然るべきだった
あえて言えば、安倍晋三という政治家が首相になれたのは、北朝鮮拉致問題があったからである。
1990年代の「政治改革」の時代、石原伸晃や塩崎恭久、石破茂、田中真紀子、前原誠司、枝野幸男、小池百合子ら同世代の政治家が次々と台頭した(前連載第9回)。そんな中、お坊ちゃま然とした世襲議員で、政策通でもなかった安倍氏は元々、目立つ存在ではなかった。
自民党政権の「年功序列」ならぬ「年序列制」の中で「清和会のプリンス」としてそれなりに出世はするだろうが、まさか首相になるほどの器とは期待されていなかった。そんな安倍氏が政界で注目され、台頭するきっかけとなったのが、北朝鮮拉致問題だった。
2002年9月の小泉首相の訪朝に随行した安倍官房副長官(当時)が、「安易な妥協をするべきではない」と強硬な姿勢を示したことが報道され、国民の支持を多く集めるようになったのだ。だが安倍氏は、実は「小泉訪朝」までの北朝鮮との極秘交渉には入っておらず、蚊帳の外だったようだ。
「小泉訪朝」は、田中均外務省アジア大洋州局長(当時)が、“北朝鮮のミスターX”と極秘に交渉を進めて実現したものだ。この“ミスターX”の存在を知り、交渉の経緯を把握していたのは、小泉首相、福田康夫官房長官、古川貞二郎官房副長官、竹内行夫外務事務次官、平松賢司北東アジア課長、そして後に川口順子外相が加わったとされる(肩書はいずれも当時)。しかし、安倍氏は交渉過程に関係していないという(手嶋龍一『危機の指導者 第4回 小泉訪朝 破綻した欺瞞の外交』)。
だが、安倍氏が「ポスト小泉」の一番手として台頭する決定的なきっかけとなる出来事が起こる。「小泉訪朝」による「日朝平壌宣言」に基づいて、2000年10月に5人の拉致被害者が日本に「一時帰国」したのだ。北朝鮮との「約束」で、5人は一旦北朝鮮に戻ることになっていた。
安倍氏は、独り強硬に反対した。最終的に5人が官房副長官室に集まって、彼らを「北朝鮮に戻さない」という決断をした。これが、国民の支持を得て、安倍氏に対する評価を高めることになったのだ。
筆者は、この時一時帰国した拉致被害者5人を北朝鮮に戻さないという政治決断自体は支持している。国家は、国民の生命と安全を守るためにある。理不尽にも外国に拉致されてしまった国民が帰国したとき、国家が彼らを保護するのは当然だ。それは、どのような外交的な利害よりも優先されねばならない。