カーロッタ・ウォールズ・ラニアーさんは1957年に、14歳の少女としてリトルロック・セントラル・ハイスクールの階段を上った。彼女は、人種隔離は違憲との裁判所の判断を受けて、白人ばかりだったアーカンソー州のこの高校にアフリカ系米国人として初めて入学した「リトルロック・ナイン(リトルロックの9人)」と呼ばれた生徒の1人だった。テレビのニュースで全米のデモの様子を目にしている現在の彼女は、「デモに参加している人々は、私がこれまで見てきた中で一番多様性に富んでいる」と語り、その変わりように驚きを示した。彼女は、1955年に当時14歳の少年だったエメット・ティル君がひどいリンチを受けた事件を覚えている。当時彼女は12歳だった。彼女はデモ参加者の多様性について、歴史上の、そして現在も続くアフリカ系米国人の苦境についての国民的議論に、より多くの米国人が参加していることを示していると語る。
人種差別抗議、昔の公民権運動家が見る希望と教訓
集まったデモ参加者の多様性を肯定するが、中心的リーダーと目標の不在に懸念も
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