システム開発の「発注者企業」のための入門書として、現在5刷のロングセラーシステムを「外注」するときに読む本』。本記事では、本書の著者であり、元東京高等裁判所IT専門調停委員で、現在は経済産業省CIO補佐官の細川義洋氏が、聞いたことはあるけどよくわからないDX(デジタル・トランスフォーメーション)について、やさしく伝えていきます。(構成:今野良介)。

「生活」をよくしてくれるもの

「デジタル・トランスフォーメーション」という言葉が近年、よく聞かれるようになりました。略語ではこれを何故か「DX」と書くのですが、そんなことも含めて、この言葉には様々な疑問を持つ人が多いようです。

デジタル・トランスフォーメーション(以下、DX)って、IT化とどう違うの?
仕事をパソコンやスマホのネットを使ってやって、だからなんなの?
確かにちょっと便利かも知れないけど、そんな大仰なもんなの?

様々な言葉を耳にします。「ウチには関係ない」とか「どうせバズワードでしょ」と言った否定的な意見もあるようですが、それでも、私の周囲を見回すと、例えば経済産業省に「デジタルトランスフォーメーション・オフィス」なるものができて様々な行政サービスを検討するなど、DXの波は、徐々に私たちの社会に押し寄せて、戻りようのないところまで来ているのではないかと感じます。

そもそも、この「DX」とは、いったいどんなものなのでしょうか。

2004年に、初めてこの言葉を提唱したスウェーデン・ウメオ大学のエリック・ストルターマン教授によると、その定義は「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」ことだそうです(※1)。わかるようなわからないような言葉ですが、何しろ提唱者の定義ですから、この連載でも、これに沿って考えを深めていくことにします。

改めて見ると、DXは、「仕事」というより、それを包含した「生活」を良くしてくれるもののようです。そして、単に「ITを使って」ではなく、「ITの浸透」とも言っています。皆が、ITツールを当たり前に使いこなし、またITの利用を前提として、仕事のみならず、生活全体を良い方向に向けていく。多少の拡大解釈を許していただけるなら、そんなところでしょうか。

今回は、そんな定義の理解を進める為に、簡単な例をお話ししたいと思います。

出張費精算もDX?

どんな組織にも「出張費の精算」という業務があるかと思います。出張の前か後かは組織によりますが、目的地や交通手段、宿泊施設などを出張目的などと共に申請してかかったお金(これからかかるお金)を会社からもらうわけですが、私の若いころは、これを紙の書類で行っていました。手書きで必要事項を書いたらハンコを押して上司のところに持っていき、そこでまたハンコを貰ったら経理に出す。そんなことをなんども繰り返し、その度に数十分、数時間を費やしていました。

かつて私のいた会社では、おそらく数千人の社員が月に何度もそんな処理をしていたわけですから、かなりのコストがかかっていたと思います。ちなみに、このコストは帳票が紙からエクセルファイルになっても、あまり変わりませんでした。

そんなアナログな方法がようやく変わったのは、入社して5年目くらいからでしょうか。専用のソフトウェアが導入されて、出張精算をパソコンから行えるようになりました。精算者が社内イントラネット(WEBではあるが社外からは使えない仕組み)上の画面から必要事項を入力し送信ボタンを押すと、データが上司に情報として流れます。上司は、送信された情報を画面で確認し承認ボタンを押します。その後、出張データは経理部門に流れて、支払処理がなされる。そんな仕組みでした。

これにより、精算処理はずいぶんと早く済むようになりました。社員も煩わしい事務処理が減り、ほんの少しですが業務時間の短縮になったでしょうし、会社の無駄なコストもそれなりには減ったことでしょう。「ITの浸透により生活が良い方向に」と言えなくもありません。

しかし、この「IT化」を「DX」と呼ぶのは、私も大いに躊躇するところです。何が足りないのでしょうか。効果があまりに小さいからでしょうか。これまで世に出たITの中には、巨額のコストを削減したものもありますが、例えば、「その効果が大きいこと」を理由にDXと呼ぶ人はいないでしょう。DXの定義は、システムの規模や効果の大きさとは少し違う方向で考えられているようなのです。一体、何が足りないというのでしょうか。

しくみを「変え続ける」こと

これは単に定義の問題ではなく、ITと業務あるいは生活の共存する姿の問題であり、今後の社会発展のための問題でもあると考えています。DXに必要なものは、「変化への対応」なのだろうと考えています。

出張旅費の精算は、一時的に社員の業務を少し楽にはしてくれます。しかし、それをそのまま放置していたら、新しい業務が当たり前になってしまうばかりか、システムが陳腐化して、新しい課題に対応できなくなっていきます。

・WEBは良いけどスマホに対応していない
・EUの域内では飛行機が使いにくくなっている
・経路検索には外部のクラウドサービスを利用した方が良いのにイントラネットなので繋げない

こんな課題に対応せずに放置したままでは、「良い生活に寄与する」どころか、進んでいく社会に対応するのに、システムが「足かせ」になってしまいかねません。これは、社内の基幹システムでも、先進的なEコマースサイトでも同じことです。

変化に適応せずに、陳腐化し、改革の足かせになってしまうようなものは、生活を良い方向に向けるもので「あり続ける」ことができない。つまり、DXとはなり得ないのです。

そう考えていくと、DXというのはITを指すものではなく、一過性の改善活動でもありません。変わりゆく時代やニーズに合わせて、ITやその周囲の仕組みを変え続ける活動あるいは、そうできるしくみのことをDXと呼ぶのだと、私はそう考えています。

例えば、この出張費精算をDXと呼ぶには、どうするればよいでしょうか。まずは、組織内に「出張費精算DX」という仮想グループを作ります。そこには出張費精算業務に詳しい人、ITが少しわかる人、色々なアイディアを出せる人、そして、そこでの決定を責任をもって実行に移せるリーダーなどがいます。そこでは、きっと、こんな会話がなされることでしょう。
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「いくらWEBだって、スマホに対応してなきゃ使いづらいよね」

「経路検索サービスってあるじゃん? そういうサイトからデータもらって、自動的に最適経路を作ってくれれば、入力もチェックもいらなくなるじゃない。データの型を合わせれば、WEB同士でできるはずだよね?」

「それだったら、今は旅行サイトが利用したホテルの明細をデータでくれるし、飛行機や新幹線だってもらえるはずだから、そのまま取り込んじゃえば、ほとんど入力するものないよ。ご入力も妥当性チェックもほとんどなし」

「というか、銀行への支払い指示情報だって、そのまま経理部で使えるんじゃない? 財務諸表とか楽になるんじゃないかな……」
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こんな、ある意味、好き勝手な会話が自由闊達に行われます。そして、こうしたアイディアの中で、本当に効果的なもの、自分達が望むものをタイムリーに作っていってしまう。そんな活動を継続して、社会の情勢や社員のニーズに答え続ける姿、あるいはしくみそのものがDXなのだろうと思うのです。

(なお、こういう話をすると、これも最近はやりのDevOpps(※2)を思い浮かべる方がいるようです。もちろんDevOppsもDXを実現するうえで有効な保守・開発手法ではありますが、DXそのものではありません。DXは、とにかく業務をデジタルで変革し続けることにより、常に社員の良い生活、あるいは企業の成長を実現するしくみですから、必ずしもDevOppsである必要はありません。)

DXに必要なもの

無論、ただ人を集めればDXができるというわけではありません。DXは「しくみ」だと申し上げましたが、具体的には以下のような事柄が整備されている必要があると考えます。


〇現状に満足せずに、「常に改善し続けたい」と思う人から成るチーム
〇チームが変革を検討・企画し、承認され、実施するプロセス
〇チームの構成員を評価する人事制度
〇変革のためにチームに与えられた権限と責任
〇チームに自由な議論をさせる雰囲気(チーム内および社内)
〇チームの活動に責任を持つリーダー
〇変革や外部との連携に対応しやすいIT技術(WEBや標準化されたデータなど)

最後のIT技術については、今後の連載の中でもう少し具体的にお話ししていきますが、いずれにせよDXというには、こうしたしくみ全体が必要になってくると思います。

さて、今回はDXについてのお話の第1回として、そもそもDXとはどういうモノなのかについて、私なりの理解を申し述べました。この記事に対する異論や反論は、大いにあって然るべきです。そうしたことを考えること自体が、DXの実現に近づくことにもなると思います。

次回は、経産省の例なども参考に、もう少しダイナミックなDXについて考えてみたいと思います。

なお、『システムを「外注」するときに読む本』では、発注者企業が、ITベンダーに発注する前に最低限の知識を得て、トラブルを回避してプロジェクトを成功させるためのポイントを凝縮しています。DXの実現するにあたり、システム開発の知識は必須であるにもかかわらず、まだ、日本ではトラブルが絶えない状況にあります。是非ご一読され、使い倒し、貴社のプロジェクトの成功に寄与できることを心より願っています。

※1:デジタル・トランスフォーメーション
出典:https://bit.ly/31QjhvA

※2:Dev Opps 
開発チーム(Development)と運用チーム(Operations)がお互いに協調し合うことで、開発・運用するソフトウェア/システムによってビジネスの価値をより高めるだけでなく、そのビジネスの価値をより確実かつ迅速にエンドユーザー