「悟った自分は、みんなとは違う」が、
根本的に間違っている理由
阿部:悟ってない人は、悟ってる人を見た時に、あるいは悟ってるって言われる人を見た時に、「この人は自分とは違う、すごい人なんだ」って思ってる。
一方、悟ってる人は、悟ってないって思ってる人と自分とが何も違わないことを知っている。ただ、その違いだけなんじゃない?
向:そうだね。その通りだと思う。
阿部:だってねぇ、人はみんな人だもんね。同じだもんね。
向:だから逆に、「私は悟ったぞー、みなさんとは違うんだよ、だから私についてきなさい」というのは非常にヤバいわけ。
阿部:危ういよね。
向:危ういの。みんな一緒だよ、というのが一番基本にあるべきだよね。
阿部:ほんとはね。
だから、「あなたたちは悟ってないから、まぁ、悟るためにこの壺が必要ですよ」とか(笑)、そうなっていっちゃう。それは危ういよね。
そういう意味じゃ、向さんは宗教家だから、こういうことは言いにくいけれど、宗教の伝統の中には、たいがいにして権威があって、そこには立派な教祖さんがいて、その人に少しでも近づくためにこれをしなさい、あれをしなさい、これはやめなさい、こういうことをいつもいつもレッスンしなさい、そういうふうにして、ある意味、搾取って言ったら言い過ぎなんだけども、そういう構図の中で多くの宗教が成立してきたような気がするんです。