「悟った自分は、みんなとは違う」が、
根本的に間違っている理由

阿部:悟ってない人は、悟ってる人を見た時に、あるいは悟ってるって言われる人を見た時に、「この人は自分とは違う、すごい人なんだ」って思ってる。
一方、悟ってる人は、悟ってないって思ってる人と自分とが何も違わないことを知っている。ただ、その違いだけなんじゃない?

阿部敏郎(あべ・としろう)1953年、静岡県生まれ。20歳でシンガーソングライターとしてデビュー。深夜放送のパーソナリティやテレビ番組の司会など、幅広い分野で活躍するが、30歳を迎えた時、突然の霊的体験を機に現役を引退。奈良県の天河神社に奉公の後、浜松市の臨済宗大本山方広寺にて向禅師とともに心の学校「いまここ塾」を主宰。2002年、沖縄に移住。毎週火曜日に行われてきた「いまここ塾」は280回を数え、ブログ「いまここ塾」にも全国から多くのアクセスが集まる。現在は日本各地で講演活動を展開し、毎回、満席の盛況が続いている。http://abetoshiro.ti-da.net/

:そうだね。その通りだと思う。

阿部:だってねぇ、人はみんな人だもんね。同じだもんね。

:だから逆に、「私は悟ったぞー、みなさんとは違うんだよ、だから私についてきなさい」というのは非常にヤバいわけ。

阿部:危ういよね。

:危ういの。みんな一緒だよ、というのが一番基本にあるべきだよね。

阿部:ほんとはね。
だから、「あなたたちは悟ってないから、まぁ、悟るためにこの壺が必要ですよ」とか(笑)、そうなっていっちゃう。それは危ういよね。
そういう意味じゃ、向さんは宗教家だから、こういうことは言いにくいけれど、宗教の伝統の中には、たいがいにして権威があって、そこには立派な教祖さんがいて、その人に少しでも近づくためにこれをしなさい、あれをしなさい、これはやめなさい、こういうことをいつもいつもレッスンしなさい、そういうふうにして、ある意味、搾取って言ったら言い過ぎなんだけども、そういう構図の中で多くの宗教が成立してきたような気がするんです。