インターネットの「知の巨人」、読書猿さん。その圧倒的な知識、教養、ユニークな語り口はネットで評判となり、多くのファンを獲得。新刊の『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』には東京大学教授の柳川範之氏が「著者の知識が圧倒的」、独立研究者の山口周氏も「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せるなど、早くも話題になっています。
この連載では、本書の内容を元にしながら「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に著者が回答します。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
親から「貧乏人の子は本を買うな」と言われます
こんにちは。先日親に「お前は貧乏人の子どもなのだから、本を買うな」「同じような本を何冊も買うなんて(←実際は買ってません)」「本棚に本を溜め込んで何が楽しい」「一度読んでそれ切り読まないのなら最初から買うな」と言われました。
私は図書館と書店が好きで、両方利用します。ただ最近は、作家さんにお金が行くように、時々本を買います(月1、2冊ほどです)。そんなに多くの本は買えませんが、学費や通信費を支払うためにアルバイトをしているので、余裕がある時に買います。しかし親は「お前は奨学金も返さないといけないのだから、趣味にお金を使うな。故に本を買うな」という冒頭の発言に戻ります。
好きで貧乏に生まれたわけでもないのに、「お前は貧乏人の子どもなのだから」と、それを親から言われ、感情の行き場がなくて辛いです。以前、アルバイトをしようとした時も「そんなにお金が欲しいのならば、進学するより就職すればよかったのに」と言われました。
経済的に恵まれていない人は、自分でお金を稼ぎ、生活に支障が出ない範囲で娯楽にお金を使っても、悪いことなのでしょうか?
どんな状況でも読書はあなたを支え、変えてくれます
[読書猿の解答]
あなたやご両親がどういう方か分からないので、以下に書くのは想像に基づくものというより当てずっぽうですが、お金と本を読むことについて思うところを少し書いてみます。
まずお金については大切な考え方が二つあります。ひとつは「使えばなくなる」というもの、もうひとつは「手放さないと増えない」というものです。いわゆる節約という行動は前者から生まれ、投資という行動は後者に基づいています。
私たちの社会では、およそ半数の人たちは本を読みません。そして経済的に破綻していない人の多くは「お金は使えばなくなる」という考えを自分のものにしていると考えられます。両者の交わり、すなわち無読者かつ節約家である人は珍しくありませんが、この人たちは本を買うことについてあなたの親御さんとほぼ同じことを主張します。
善意に解釈すれば、あなたの親御さんは、書物や読書するあなたを貶め害する意図からそう主張するのでなく、今後の人生に不可欠なマネー教育の一環として「使えばなくなる」というお金の基本ルールをしっかりとあなたの中に根付かせたいのだと思います。
さて、私は「読書猿」を名乗っていて、世の読書家にはとても及びませんが少しは本を読むので、あなたの親御さんと異なる見解をもっています。
書物とそれを読むことは、ヒトにとって贅沢などではなく不可欠なものです。
たとえば、三角関数を知らない人も電気を使うことで間接的にその恩恵を受けているように(電気工学に三角関数は不可欠です)、無読者も社会と文明の恩恵を通じて書物と読書の恩恵を受けています。
我々の複雑な社会と文明は、我々の祖先が進化の過程で培ってきた生得能力だけでは維持できません。これが我々が知識を学び、更新し、蓄積し、伝え合わなくてはならない理由であり、この過程の一部を担う書物と読書に、本を読まない人もまた間接的に恩恵を受けているという理由です。
再びたとえに戻るなら、私たちの多くが三角関数をよく知らなくても済んでいるのは、誰かが代わりにそれを理解し活用してくれているからです。同様に我々の多くが本を読まなくて済んでいるのは、誰かが代わりに読むことを続けているから、そうして書物の森が再生産するのを支え、書物と読むことの伝統をつないでいてくれているからに他なりません。
社会や文明といったマクロな話でなく、もっとミクロな個人のレベルに視点を移しても、あるいは直接役に立つ知識が学ぶためでなく、もっぱら楽しみのためにする読書についても、同じことを、すなわち贅沢ではなく不可欠であることと言いたいと思います。
少なくとも「今を変えよう」「現状から脱しよう」と思う人にとってはフィクションは不可欠です。
人は記憶するとともに想像する生き物であり、「ここでないどこか」「今日のようでない明日」を考えることなしには生きていけません(もっと強い言い方をすれば、生きているとは言えません)。
本を読む人が、伝統的な共同体でしばしば胡散臭く思われ、邪険に取り扱われるのは、身体はここにあるのに本読みの目が「ここではないどこか」を見ていることが共同体のメンバーに感じ取られるからです。本読みはその意思はなくとも、潜在的な批判者であり改革者として受け取られるのは、こうした理由からです。
あなたの家族におけるポジションにも、これと似たところがあるのかもしれません。
「貧乏人」との言葉が出てくるのであえて申し上げますが、貧困とはお金などのリソースがただ少ない状態をいうのでなく、そうした現状から脱することができないこと、そうした「今」につなぎ留められていることを言います。
あなたがこの先どんな人生をおくられるか分かりませんが、どこにあっても読書はあなたを支え、また変えてくれるでしょう。想像はあなたを「ここでないどこかへ」と先に連れ出し、今この現状から脱することをあなたを促し続けます