当時の文春社長は新潟出身で、田中角栄とは親しく、この「研究」の掲載自体に反対でした。編集長もデスクも担当者も後に社長になったという伝説のチームだったのですが、会社の幹部は「雑誌掲載は許可するが出版することは許さない」という方針だったそうです。そのため、田中角栄研究は雑誌としては完売になりながら、書籍としては講談社で出版されることになりました。

「あんなやつらに負けてたまるか」
闇将軍に立ち向かう立花隆の原動力

 私が担当した立花さんの記事は、「立花隆の選挙予測」という新たな試みでしたが、週刊誌の締め切りは月曜日。選挙の開票日も同じく月曜日でしたから、ハナから無理な企画だったかもしれません。選挙結果は大平首相の死去により、自民党が大勝し、立花さんの選挙予測は外れました。

 ただ、分析の根拠は間違っていなかったのです。保守・革新、どちらとも決めていない中間層が一定の割合でいて、今回は自民党の内紛に愛想を尽かして革新に走り、自民が敗退するという予測だったのです。しかし、思いもかけぬ大平首相の選挙中の死去により、中間層は「弔い合戦」の同情票に走り、自民党は300議席の大勝となりました。そんな頃です。

 ロッキード事件で有罪判決を受けながら田中角栄の派閥は膨張し続け、政治権力を裏で動かす闇将軍と化していました。立花さんは、こう語っていました。

「自分は、あんなやつらに負けてたまるか、というのが原動力です。あんな奴らとは、田中角栄とそれを支えるすべての人間。積極的な加担者だけでなく消極的に言いなりになった加担者も含めて、全部敵だ」