イタリアに渡って車の設計を手始めに、日本では音響デザインを。そしてエコに目覚めて、蕎麦屋にたどり着きました。自然を愛し、ドイツの黒い森に思いをはせる「黒森庵」からは、エコロジカルなオーラが降り注ぎます。
(1)店のオーラ
エコが蕎麦屋の道を開く
かつて「出張蕎麦打」というものがあったのを、ご存知でしょうか。客宅に訪問し、そこで手打ちを披露し、蕎麦料理を饗応するというものでした。
ちょうど14,5年前でした。当時、手打ち蕎麦の人気が沸騰し始めた頃で、しかも出張ときていましたから、雑誌やテレビなど色々なメディアでその職人が特集されました。今、その当人を目のあたりにしています。
あつもり。白髪ねぎの上に黄身を乗せる。その黄身を割りながら蕎麦を手繰り寄せる。 |
「黒森庵」の亭主、加東良卓(りょうたく)さんです。
「とても貴重な体験でした」出張蕎麦屋の4年間を加東さんが振り返ります。
客たちは加東さんの一挙手一投足、固唾を飲んで見守り、ある人はビデオカメラで手打ちの模様を接写します。その中で、平然と蕎麦を打たなくてはいけません。
黒森庵を象徴する蕎麦です。トマトをベースにした漬け汁、これを目当てに客がきます。 |
「度胸が付きました。何がきても平気になりました」
加東さんの父親は、黒澤映画などで高名な俳優の加東大介さんです。加東さんは役者の子供として生まれながら、まったく違った道を歩んできました。
加東さんの仕事のスタートは、イタリアに渡り自動車のデザインを、帰国後は日本のトップ音響企業のデザイナーに就きました。このデザインの仕事が、加東さんの蕎麦屋の道へのきっかけになるのですから、人生の転機はどこにあるか分からないものです。
「デザインの仕事は、自分なりに次の時代を読み取ることから始まります」
有機ぬか床で漬けるおしんこ、ガーリック風味ドレッシングのひじきなど、和の3品盛り。 |
次はどんな世界が到来するかをイメージし、それを概念化するといいます。
しかし、加東さんがそこに見たものは、文明社会の行き詰まる姿でした。その結果、加東さんは自分の在り方を見直すことを選択しました。
加東さんは無農薬の自給自足の自然農法に原点を求めました。八ヶ岳に移住したのです。
“土に帰ってみる。そこで自分と家族そのものを見つめる”原初的な共同体がそこにあると考えたのかもしれません。
加東さんは八ヶ岳に移って間もなく、ある蕎麦屋の名店に通いだしました。そこの主から「自然農法で蕎麦を育ててみませんか」と声を掛けられたのです。