ロッテ重光戦略の根幹を成す「衣錦還郷」と政治との距離

2020年1月、ロッテグループ創業者の重光武雄(しげみつ・たけお)氏が亡くなった。享年98。80年前の18歳の時に、文字通り裸一貫で来日し、日韓にまたがる巨大企業グループ「ロッテ」を築き上げた重光は、日本で最も経済的成功を収めた在日一世の経営者であった。だが多くの日本人は、このカリスマ経営者の輝ける成功は知っていても、その成功へといたる過程を知らない。オーナー社長としての強力なリーダーシップ、鬼才的なマーケティングセンス、常に最高品質を求めた商品の差別化や競争優位戦略……重光経営とはいかなるものだったのか。その成功の軌跡を追った。(ダイヤモンド社出版編集部 ロッテ取材チーム)

日韓を股に掛けた2つの名前を持つ男

 2020年1月18日夕方。ソウルの病院で、日韓にまたがる巨大コンツェルンを築き上げた、日本で最も経済的成功を収めた在日韓国人一世のカリスマ経営者が亡くなった。その男の日本名は重光武雄(しげみつ・たけお)、韓国名は辛格浩(シンキョクホ)である。

 生まれ故郷の韓国からわずか18歳で日本に渡り、牛乳配達のアルバイトから身を起こし、大手菓子メーカーであるロッテグループを日本に築いたのは重光武雄である。

 そして在日本大韓民国民団(民団)の支援者として中央本部の顧問まで務める一方、日本から送った資金で祖国の韓国で事業を興し、韓国に巨大財閥を創設したのは辛格浩だった。

 政治との関係を例に取れば、韓国籍でありながら日本のプロ野球球団のオーナーとして君臨し、それを差配した岸信介元首相との親交ぶりが知られた重光武雄は、1997年の釜山ロッテワールド開館のテープカットに福田赳夫、中曽根康弘、竹下登の歴代日本首相を招き、その“政治力”に日韓の関係者は驚嘆した。

 かたや韓国においては、自身と同じ農業学校を卒業した同郷人を介して親しくなった朴正熙(パク・チョンヒ)韓国元大統領(在任期間63~79年)の開発独裁の下で、辛格浩は次々と巨大経済プロジェクトを成し遂げた。朴大統領の暗殺後も88年のソウルオリンピックを契機とする「漢江の奇跡」に足取りを合わせるかのように財閥化への道を突き進んだ。

 まさにライオンの頭と毒蛇の尾を持つギリシャ神話の怪物キメラ(キマイラ)を思わせる妖怪ぶり発揮したカリスマ経営者だが、その信条は「政治とは距離を置け」だったという。(『ロッテを創った男 重光武雄論』より)。

 巨大企業グループ「ロッテ」を築き上げた男は生涯、この2つの名前を使い分けた。日本に帰化することなく生涯を終えたカリスマ経営者の成功の軌跡を追った。