1976年生まれ。元ライブドア堀江貴文氏やグリー田中良和氏など、インターネット第一世代として活躍した西村博之氏、通称「ひろゆき」。日本の匿名掲示板として圧倒的な存在感を誇った「2ちゃんねる」や動画サイト「ニコニコ動画」などを手掛けてきて、いまも英語圏最大の匿名掲示板「4chan」や新サービス「ペンギン村」の管理人を続ける。
そのロジカルな思考は、ときに「論破」「無双」と表現されて注目されてきたが、彼の人生観そのものをうかがう機会はそれほど多くなかった。『1%の努力』(ひろゆき)では、その部分を掘り下げ、いかに彼が今の立ち位置を築き上げてきたのかを明らかに語った。
「努力はしてこなかったが、僕は食いっぱぐれているわけではない。
つまり、『1%の努力』はしてきたわけだ」
「世の中、努力信仰で蔓延している。それを企業のトップが平気で口にする。
ムダな努力は、不幸な人を増やしかねないので、あまりよくない。
そんな思いから、この企画がはじまった」(本書内容より)

そう語るひろゆき氏。インターネットの恩恵を受け、ネットの世界にどっぷりと浸かってきた「ネット的な生き方」に迫る――(こちらは2020年3月1日付け記事を再構成したものです)

暇つぶしで学生起業

1996年。僕は一浪を経て、中央大学に進学した。

受験勉強をしたくないから、用語集の一番薄い政治経済を選び、自分の学力で受かる大学を受けた。

受験はマークシート式で、最小限の労力で乗り切った。決して東大を目指すようなことはせず、「大卒」のカードは持っておこうと考えた。

僕の人生は、そうやって最低限の努力で生き残ってきたタイプの人生だ。

大学に入っても、学問を学ぶという意識はなく、最短で単位を取りながら、ダラダラと過ごすモラトリアム生活を満喫した。

時間が有り余ると、何かがしたくなる
バイト代わりの暇つぶしにと、仲間たちとホームページ制作の会社「東京アクセス」を立ち上げた。

意外かもしれないが、大学の4年間はほぼフル単位で卒業をした。すべての授業に出ていたわけではない。出なくても単位がとれる授業を選び、最短距離で卒業をした。

1997年、大学1年生の冬にパソコンを買った。

中古のダイナブックで10万円くらいで、「これでようやく家でインターネットができるのか」と思った。当時はまだ面白いサイトも少なかったので、一通り見終わったら、今度は「自分で作ってみよう」と思った。

初めて作ったのは、「交通違反の揉み消し方」というページだった。法律の抜け穴を考えるのが好きで、役に立つ情報は進んでシェアする感覚が当時からあった。

サラーマン生活ができない。じゃあどうする?

さて、僕が人生で最優先事項にしたのは、「睡眠」だ

とにかく朝早く起きて、毎日同じ時間に同じところにいることができない。

つまり、サラリーマン生活ができなかった

ただ、できないことがハッキリすると、それでもなんとか生きられるように逆算して物事を考えられる。

冒頭でも述べたように、僕は学生時代に起業した。

そして、大学3年生では留学をしたのだが、その間もホームページ制作の仕事を続けていた。

こうやってお金が稼げるのなら、日本にいる必要もないんだな

そんなことに気づいてしまった。

ひろゆき氏(撮影:榊智朗)

日本の枠組みから抜け出しても生きられることがわかったので、いつでもどこでも暮らしていける自信が芽生えた

海外で人間関係がゼロでも、そこから友達を作る経験をすると、どこに行ってもなんとかなると思える。現在のフランス・パリでの生活の原点でもある。

日本がずっと1億人くらいの人口を維持し続けられるのなら、僕も日本に残る選択肢はあったかもしれない。

けれど、この先、人口が減っていくのであれば、日本に残るメリットは少ない。

バブルを経験した人は、「なんとかなる」と信じている。時代がよいと、何もしなくてもなんとかなってしまう。

でも、僕らは違った。

就職氷河期だったので、ちゃんと自分の頭で考えてロジックを組み立てないと生きていけなかったのだ。