世界最高峰の競馬レースである凱旋門賞が今年は10月7日に行われた。今年の凱旋門賞が特に注目されたのは、日本の最強馬オルフェーヴルが出走を予定し、有力視されていたからだ。読者はもう結果をご存じだろう。

 血統評論家・吉沢譲治氏の新刊『日本最強馬 秘められた血統』(PHP研究所)は、このオルフェーヴルに凝縮された、凱旋門賞を勝つための日本最高峰の血統と、日本競馬の国際化の歴史を語る。

 さて、自動車も、エレクトロニクスも、小売りも、金融も、日本の多くのビジネスが、海外からビジネスのアイデアを取り入れ、これを国内で発展させ、次には、外国に進出したり、外国との競争に晒されたり、といった経緯を持つ。

 日本の競馬の世界も海外との関わりを通じて、変化してきた。

 サラブレッドの血統は輸入されたものだが、日本でも発展した後に、1958年に当時の日本最強馬ハクチカラが最初の渡米を敢行する。渡米は経済的には成功とは言い難かったが、同馬が渡米翌年に米国の歴史的名馬ラウンドテーブルを相手に金星を挙げたことで、日本馬の海外遠征への扉が開いた。しかも、ハクチカラに同道した当時の一流騎手・保田隆芳氏が、馬に負担をかけにくいモンキー乗りという当時の先端技術を日本に輸入する副産物もあった。

 筆者は、日本のプロ野球選手で最も尊敬するのは野茂英雄投手だが、ハクチカラと馬主の西博氏、保田騎手は同じくらい偉いと思う。

 しかし、その後、日本馬の海外遠征は惨敗を重ねる。吉沢氏によると、馬そのもののレベル差もさることながら、馬を運び現地に適応させる遠征技術に問題があったようだ。ビジネスの世界でも、商品がよくても、海外での売り方がまずいケースはよくある。

 日本の馬産は自信を失いかけたが、日本の競馬の国際化のために創設された大レースであるジャパンカップが、この流れを変える。