出荷作業のピーク時に
大地震が発生

 マグニチュード9.0、震度6強の地震がゼライスを襲ったその日は、出荷作業の真っ最中だったという。

「私自身は娘の中学校の卒業式に出席していたので、会社では被災しませんでした。当日業務に当たっていた従業員によると、揺れが収まった後に運送業者さんが引き返してきて『津波が来る』というラジオの報道を教えてくれたそうです。それからすぐに建物の2階や屋上に避難しました」

 ほどなくして、高さ2m30cmの津波が同社の敷地に到達。事務所や工場は全壊、半壊、一部損壊に見舞われたものの、避難が早かったため人的被害は出なかった。「津波情報を教えてくれた運送業者さんには本当に感謝しています」と、北島氏。

「津波によって、当社の敷地には泥やゴミ、近所の石油工場にあったタンクローリー車まで流れ込んできました。従業員は自分の車が津波で流されていくのを目にしました。全員命は助かりましたが、その日は電話もつながらず、小雪がちらつく寒さのなかで電気も水道も使えないまま一晩過ごしたそうです。翌朝自衛隊の救助が来るまで、とても心細かったと聞きました」

 本社、工場、研究所の1階部分は完全に水没。なかでも甚大な被害が出たのは、工場の内部だった。

「工場の中にあった出荷前のゼラチンが海水を吸い、水が引いたあとに床の上で固まってしまったんです。ゼラチンによって床の厚みは10cmほどになり、ラックの隙間や機械にまでゼラチンが付着している光景は、かなり衝撃的でした。復旧作業としてまず取りかかったのは、ゼラチンをかき出すために使うスコップ等道具類の調達でした」

写真:津波被害後の工場内の様子1 写真:津波被害後の工場内の様子2津波被害後の工場内の様子。「ゼラチンをかき出す作業は本当に大変でした。その後も会社の機能を復旧するために機械や備品をすべて買い直したので、多賀城市に移転したときと同じくらいの費用がかかりましたね……」(北島氏)

 お湯があればゼラチンを溶かすことができるが、飲料水すら不足していたため、キレイな水を確保できる状況ではない。そのため、被災直後は人の手で復旧作業をするしかなかったという。

「全員で力を合わせなければならなかったので、すべての社員を4つの班に分け、交代で出勤し作業しました。部署や役職の隔たりをなくして班を分け、支援でいただいた少ない缶詰を何人かでシェアして食べたこともありました。体力的にかなりキツかったのですが、とても印象に残っています」

 全員で作業に明け暮れて3カ月がたった頃、家庭用「ゼライス」の製造ラインが最初に復旧したという。

「2020年4月、本社の事務機能の大半を2階に移動しました。そのため、今は有事の際でも最低限の事務作業をする場所が確保できています」