相変わらず見事なタイミングだった。

 きのう、石原慎太郎都知事は知事辞任を表明、国政復帰と新党結成を宣言した。

 確かに、15:00から都庁で開かれた緊急記者会見は80歳とは思えない力強さに満ちていた。

 ただ、その姿をMXテレビの画面で見て私が最初に感じたことは、「大変だな、石原さんも」というのが率直なところだった。

 今任期中の電撃的な辞任はすでに知っていた。

 昨年の3.11の震災直後、予定外の知事選不出馬を取り消した時に話した時も、同じ3月、自由報道協会で記者会見をした際も、またその夜、赤坂の料理屋で二人で食事をした時にも、石原さんは電撃辞任をほとんど断言していたからだ。

 問題は時期だった。今回、石原さんは一週間前に辞表を書いたという。だが、決意は4選決定の際、いや、本当は2回目のオリンピック東京招致立候補を決めた後、心に決めていたのだ。

 3年前、2009年のデンマークでのIOC総会直後、私はコペンハーゲン空港の特別室で石原さんと話していた。

「おい。もっと優しくしてくれよ」

 こう言いながら、石原さんはあの独特の人懐っこい笑顔を見せた。

 直前のIOC総会の記者会見(日本以外の国際会議ではフリーランスも会見に普通に参加できる)で、私が辞任を迫る質問をしたことに対する返答だった。

 それは5年前の2007年、3選当選を決めた直後の記者会見冒頭、私が次のように質問したことに遡る。